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キッド・カディ『Man on the Moon: The End of Day』とその前提

状態としての音楽 キッド・カディ(Kid Cudi)の『Man on the Moon: The End of Day(マン・オン・ザ・ムーン:一日の終わり)』(2009)を聴くとき、多くの場合まず奇妙な違和感に出会う。 それ...
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ブラック・アイド・ピーズと流体化するポップ空間~『Monkey Business』を軸に~

接続される音楽 ブラック・アイド・ピーズを単なる「売れ線化したヒップホップグループ」として捉えると、その変化は“本質を失った歴史”のように見えてしまう。しかし改めて作品を聴き返すと、そこにはむしろ、2000年代以降に変化した「接続の...
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形式の前夜 ― プライマル・スクリームとエレファントカシマシの2ndアルバム

優れた作品には二つの姿がある。 ひとつは、形式が完成した姿である。 そこでは表現の方向性が定まり、何を目指していたのかがはっきり見える。作家と作品は一致し、ジャンルは自らの輪郭を獲得する。 しかし、もうひとつの姿がある。...
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フィニアス・ニューボーンJr.『World of Piano!』とビッグL『Lifestylez ov da Poor & Dangerous』~ジャンルが自分自身になるとき

ある表現が成熟するとき、そこには不思議な瞬間が訪れる。 それは革命が起きる瞬間ではない。新しいルールが発明される瞬間でもない。 むしろ、その表現が自らの可能性を極限まで引き出し、「自分とは何か」をはっきりと示す瞬間である。 ...
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ドヴォルザーク『新世界より』とマイケル『スリラー』 ― 大衆化する傑作、翻訳される近代

アントニン・ドヴォルザーク『交響曲9番"新世界より"』 と マイケル・ジャクソン『スリラー』 。 この二つを並べると、意外に思えるかもしれない。 19世紀末の交響曲と、1980年代のポップアルバム。クラシック音楽とMTV時代の...
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プロコフィエフとショスタコーヴィチ《ヴァイオリン協奏曲第1番》にみる価値の生成

原石とハブ セルゲイ・プロコフィエフ と ドミートリイ・ショスタコーヴィチ は、20世紀ロシア音楽を代表する作曲家としてしばしば並べて語られる。 両者はともに優れたピアニストであり、巨大なオーケストラを扱う作曲技術を持ちなが...
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『ブラー(Blur)』以後 ― 編集者の揺らぎとブラーの変質

アルバム『ブラー(Blur)』(1997)を聴くと、そこには90年代前半のブラーとは異なる空気が流れている。かつての彼らにあった、英国文化を軽やかに編集していく感覚は後退し、代わりにノイズや疲労感、不安定さや空虚さが入り込んでくる。 ...
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ビートルズの手の平の上で ― YBA、ブラー、オアシスと「制度内革命」のイギリス文化

90年代のイギリス文化を振り返るとき、そこにはどこか独特の「余裕」がある。それはゼロから世界を変えようとする切迫感ではない。むしろ、“すでに世界を変えた経験がある国”の空気である。 その巨大な起点にいたのが、ビートルズ(The Be...
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ハービー・ハンコックという接続体 ―『Empyrean Isles』『Future Shock』『Future2Future』より

持続する未来 ハービー・ハンコック(Herbie Hancock) を語るとき、多くの場合は 『処女航海(Maiden Voyage)』 のような洗練されたモード・ジャズが代表作として挙げられる。 出典:Artpedia/ハー...
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都市が生成する音楽 ― 小曽根真、アラン・ギルバート、NDRによる《ラプソディ・イン・ブルー》

先日、小曽根真、アラン・ギルバート、NDRエルプフィルハーモニー・オーケストラによるジョージ・ガーシュイン《ラプソディ・イン・ブルー》の演奏を観た(聴いた)。そこでまず驚かされたのは、この作品が思っていた以上に“自由”だということである。...
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