持続する未来
ハービー・ハンコック(Herbie Hancock) を語るとき、多くの場合は 『処女航海(Maiden Voyage)』 のような洗練されたモード・ジャズが代表作として挙げられる。

もちろんそれは重要な作品だ。しかし、ハンコックという存在の本質を「未来への感覚」や「音楽の更新方法」に見るなら、むしろ別のラインが浮かび上がってくる。
『エンピリアン・アイルズ(Empyrean Isles)1964』、『フューチャー・ショック(Future Shock)1983』、そして 『フューチャー・トゥ・フューチャー(Future2Future)2001』。
この三作には、「音楽を進行ではなく環境として扱う」という共通感覚が流れている。



従来のジャズでは、コード進行は時間を前へ押し進める装置だった。しかしハンコックは、早い段階から“場を持続させる”方向へ向かっていく。『エンピリアン・アイルズ』では、反復するグルーヴの上に断片的なフレーズや音色が浮遊し、演奏は劇的に展開するというより、空間の密度を少しずつ変化させていく。
代表曲「カンタロープ・アイランド」は、その象徴のような曲である。短いリフが持続し、その上を断片が漂う。この感覚は、後年のヒップホップやサンプリング文化にも通じている。さらに初期曲「ウォーターメロン・マン」では、子供時代に耳にしたスイカ売りの掛け声が発想源になっている。そこには理論以前の、“都市の日常音響”がある。しかもこの曲は、コード進行よりもリフとグルーヴによって成立している。後の ジェイムス・ブラウン的ファンクへ接続する身体性が、すでに芽生えているのである。

こうした感覚を決定的に拡張したのが、若くして加入した マイルス・デイヴィスの第二期クインテットだった。
当時のマイルス・バンドは、単なる人気グループではない。そこは60年代ジャズが次の段階へ変異していく実験場であり、メンバー自身がしばしば「ラボ(研究室)」と呼ぶ濃密な創造空間だった。
そこには、ウェイン・ショーターの輪郭の揺れる作曲感覚があり、トニー・ウィリアムスの流動的リズムがあり、ロン・カーターの重心を変化させ続ける低音があった。そしてハンコックは、その間に空間を生成するような和声を置いていく。

重要なのは、彼らが単独で突出していたこと以上に、互いを絶えず変形させていたことだった。リズムは伴奏ではなく空間そのものを揺らし、和声はコード進行を説明するためではなく、場の密度を変えるために使われる。曲は固定された構造物というより、生き物のように変形し続けていた。
特にマイルスは、「何を弾くか」以上に、「どう場を動かすか」を重視していた。ハンコックが演奏中に複雑なコードを探して迷っていた時、マイルスが「やたらに弾くな」と言った有名な逸話がある。そこには、「音を埋める音楽」から、「余白や緊張で空間を動かす音楽」への発想転換がある。

そしてこの感覚は、後年のハンコックにそのまま引き継がれていく。彼がファンクやヒップホップ、電子音楽へ自然に接続できたのも、音楽を固定された様式ではなく、“更新され続ける環境”として捉えていたからだろう。
実際、『フューチャー・ショック』の音響は典型的な80年代デジタル感覚を持っている。MIDI的な均質化されたビート、機械的反復、硬質なシンセ。しかしハンコックは、その内部に完全には身体を明け渡さない。スクラッチやドラムマシンの上に、微妙な“揺らぎ”や呼吸、即興的応答を残している。

つまり彼は、機械化された未来へ進みながらも、黒人音楽の身体性やジャズ的対話感覚を失わなかったのである。
この感覚は、ショーターとの関係にも通じている。ショーターの作曲には、「説明しすぎない神秘」がある。曲は明快に完結するのではなく、気配や地形のように存在する。構造は極めて高度なのに、最後まで“謎”が残る。

ハンコックにもまた、同じようにコントロールしきれない身体性や偶発性への肯定がある。どれだけ電子化しても、完全に制御されたシステムへは向かわない。むしろ彼は、機械の内部に入り込みながら、その中に揺らぎや未決定性を残し続ける。
だから『フューチャー・ショック』は、単なるテクノロジー礼賛ではない。それは、「感性や創造性そのものが変化してしまう未来」と向き合いながら、その内部でなお身体性を持続させようとする音楽だった。
そして 『フューチャー・トゥ・フューチャー』になると、“未来”はもはや衝撃ではなく、日常環境そのものになる。ドラムンベース、ダブ、アンビエント、電子的残響。その中でピアノもビートも中心性を失い、複数のレイヤーが浮遊する。
アコースティック空間。
電子空間。
ネットワーク空間。

ハンコックは、その時代ごとの「未来の居心地」を設計し続けた。だから現在の耳で聴くと、これらの作品は古典というより、むしろ“今に接続された音楽”として響く。そこにあるのは完成された様式ではない。変化し続ける環境の中で、断片を漂わせ、接続し続ける感覚なのである。
量感の持続 ― Tony Cragg という生成体
トニー・クラッグ(Tony Cragg)の彫刻を見ていると、形態が絶えず変化しているにもかかわらず、不思議な安定感があることに気づく。うねり、分裂し、増殖し、空間へ広がっていく。しかしその内部には、常に強い“彫刻的重力”が存在している。
クラッグの作品には、単なる抽象造形ではない、物質そのものの密度や流れがある。形態は流動化しているのに、“彫刻であること”を失わない。だから彼の作品は、どれほど複雑になっても、最終的には強い量感へ回収される。そこには、フォルムが崩壊しているというより、内部から生成し続けているような感覚がある。

この構造は、ハービー・ハンコックの音楽に非常に近い。
ハンコックもまた、モード、ファンク、ヒップホップ、電子音楽、ドラムンベースと、時代ごとの新しい手法を柔軟に取り入れていった。しかし、どれだけ未来的な音響へ接続しても、その内部にはジャズ的な構造感覚が最後まで残っている。

特に重要なのは、彼がリズムを完全に機械化しなかったことである。ドラムンベースを導入しても、そこには依然として呼吸や“間”があり、演奏者同士の応答が残されている。つまり彼の音楽は、電子的ビートへ従属するのではなく、ジャズ的な演奏空間を保ちながら、新しい環境へ接続されている。

クラッグにもまた、似た感覚がある。彼の作品では、色彩や分節、インスタレーション的広がりが増殖していく。しかしその変化は、土台を解体する方向ではなく、むしろ強い彫刻的骨格の上で展開されている。

だから彼の作品には、流動性や未来性がありながら、同時に強い身体感覚がある。それは無重力化されたイメージではなく、物質が圧力を受けながら内部から変形し続けているような感覚である。

ここで重要なのは、クラッグもハンコックも、「伝統」を保守的に守っているわけではないということだ。むしろ彼らは、強い基礎構造を持っているからこそ、大胆に更新できる。

ハンコックはジャズの身体感覚を失わずに電子音楽へ接続し、クラッグは彫刻的量感を保ったまま形態を流動化させた。つまり両者に共通しているのは、単なる折衷ではない。核を保ったまま変異していく感覚である。 それは、スタイルを固定することでも、逆にすべてを解体することでもない。重力を保ったまま未来へ接続していくこと。その意味でクラッグの彫刻は、ハンコックの音楽と同じく、「持続する構造」の上で生成し続ける環境なのである。


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