岡鹿之助(1898–1978、日本)
静止する異国
近代日本洋画の歴史において、岡鹿之助はどこか特異な位置にいる。
彼はフランスへ渡り、西洋近代絵画を深く学んだ画家である。
しかし、その作品には、パリ的な華やかさや前衛的な速度感がほとんど存在しない。
そこにあるのは、静かな建物、人気のない港、止まったような風景、そして少しだけ現実から浮いた空気である。

岡の絵画を見ていると、不思議な感覚がある。
写実的に描かれているようでいて、同時にどこか夢の中の風景のようにも見える。
建物は整然としている。
遠近法も存在している。
しかし空間は妙に静止し、時間だけが抜き取られたような感覚が漂う。
つまり彼の絵画では、西洋的写実と、日本的な“間”の感覚とが、完全には統合されないまま共存しているのである。
ここが非常に重要である。

西洋近代絵画において風景とは、しばしば都市や個人の感覚と結びつきながら変化していった。
印象派には光の移ろいがあり、キュビスムには構造の解体があり、シュルレアリスムには無意識の劇場がある。
しかし岡鹿之助は、そのどれにも完全には向かわない。
むしろ彼は、西洋絵画の空間構造を受け入れながら、その内部から速度や劇性を静かに抜き取っていく。
そのため彼の画面には、強い事件が起きない。

人物もほとんど現れず、風景は静かに閉じている。
だが、その静けさは単なる抒情ではない。
むしろそこには、異国を完全には自分のものにできない感覚が漂っている。
フランスの風景を描きながら、彼は完全なフランス人の視線にはならない。
しかし同時に、日本へ完全に戻るわけでもない。
つまり彼の絵画には、「どこにも完全には属さない視線」が存在しているのである。
この感覚は、日本近代美術においてかなり重要である。

多くの画家たちは、西洋化か日本回帰かという二項対立のなかで語られてきた。
しかし岡鹿之助の作品は、そのどちらにも回収されない。
彼は西洋を模倣するのでも、日本的伝統へ閉じこもるのでもなく、異国の風景を日本的な静けさの内部でゆっくり変質させていった。
そのため彼の画面には、どこか「翻訳され切らない空気」が残っている。

これはカツカレーカルチャリズム的に言えば、本場の料理を完璧に再現することではない。
異国の味を身体へ通しながら、温度や塩加減を少しずつ変え、自分の生活の速度へ馴染ませていくような感覚である。
岡鹿之助は、西洋近代絵画の構造を受け取りながら、その内部へ日本的な余白と静止感を静かに流し込み、時間の速度を弱めた“静かなカツカレー”として、新しい食卓へ差し出したのである。

カツカレーカルチャリズム画家列伝22 ~岡鹿之助、須田国太郎 編 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ


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