音楽

都市が生成する音楽 ― 小曽根真、アラン・ギルバート、NDRによる《ラプソディ・イン・ブルー》

先日、小曽根真、アラン・ギルバート、NDRエルプフィルハーモニー・オーケストラによるジョージ・ガーシュイン《ラプソディ・イン・ブルー》の演奏を観た(聴いた)。そこでまず驚かされたのは、この作品が思っていた以上に“自由”だということである。...
アート

混ぜすぎた美術史 48 ~岡鹿之助

岡鹿之助(1898–1978、日本) 静止する異国 近代日本洋画の歴史において、岡鹿之助はどこか特異な位置にいる。 彼はフランスへ渡り、西洋近代絵画を深く学んだ画家である。しかし、その作品には、パリ的な華やかさや前衛的な...
アート

混ぜすぎた美術史 47 ~奥村土牛

奥村土牛(1889–1990、日本) やわらかな抽象 20世紀の日本美術において、奥村土牛はしばしば「穏やかな日本画家」として語られる。しかし、その静けさの内部では、実はかなり奇妙なことが起きている。 彼の絵画には、近代...
アート

混ぜすぎた美術史 46 ~北川民次

北川民次(1894–1989、日本) 熱帯を横断する壁画 20世紀前半、日本の多くの画家たちがヨーロッパへ向かったなかで、北川民次が強く惹かれたのはメキシコだった。それは単なる異国趣味ではない。むしろ彼は、西洋近代とは別の場所...
アート

混ぜすぎた美術史 45 ~国吉康雄

国吉康雄(1889–1953、日本/アメリカ) ずれた身体のサーカス 20世紀前半、多くの日本人画家がヨーロッパへ向かった一方で、国吉康雄はアメリカへ渡った。しかし彼もまた、単純に「西洋化」を目指した画家ではない。 むし...
アート

混ぜすぎた美術史 44 ~藤田嗣治

藤田嗣治(1886–1968、日本/フランス) 乳白色の越境 20世紀初頭、多くの日本人画家たちが西洋画を学ぶためヨーロッパへ向かった。その中でも藤田嗣治は、単に西洋へ“追いつこう”とした画家ではない。むしろ彼は、西洋絵画の内...
アート

混ぜすぎた美術史 43 ~吉田博

吉田博(1876–1950、日本) 光を翻訳する風景 近代日本美術において、西洋の技法を最も巧みに吸収した画家の一人として吉田博は語られる。実際、彼の風景画には印象派以後の外光表現や空気遠近法の影響を見ることができる。光は移ろ...
アート

混ぜすぎた美術史 42 ~翻訳される近代と,もうひとつのモダニズム

往復するカツカレー 20世紀前半、日本における近代美術の変化は、単なる西洋化ではなかった。それは異文化を受け入れ、ずらし、組み替えながら、自らの表現へと変換していく複雑な翻訳のプロセスであった。 明治維新以後、日本は国家的な...
音楽

UA『11』、エリカ・バドゥ『Baduizm』、アウトキャスト『Aquemini』― 身体の再編

深度・浮遊・拡散としてのリアル 軽やかさが文化として定着したあと、音楽は再び身体へと接続し始める。ただしそれは、かつてのように感情を増幅し、自己を強く打ち出すかたちではない。むしろ、軽やかさを通過したあとに、身体をどのように扱い直す...
音楽

ディーライト『World Clique』、セイント・エティエンヌ『Foxbase Alpha』、ピチカート・ファイヴ『女王陛下のピチカート・ファイヴ』― 祝祭と都市、そして完成されたポップ

開かれる軽やかさ 軽やかさは、一度提示されたあと、ただ定着するだけではない。むしろそれは、より開かれ、より共有されることで、別のかたちのリアルへと変化していく。その転換点を示すのが、ディーライト(Deee-Lite)、セイント・エテ...
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