アート

混ぜすぎた美術史 44 ~藤田嗣治

藤田嗣治(1886–1968、日本/フランス) 乳白色の越境 20世紀初頭、多くの日本人画家たちが西洋画を学ぶためヨーロッパへ向かった。その中でも藤田嗣治は、単に西洋へ“追いつこう”とした画家ではない。むしろ彼は、西洋絵画の内...
アート

混ぜすぎた美術史 43 ~吉田博

吉田博(1876–1950、日本) 光を翻訳する風景 近代日本美術において、西洋の技法を最も巧みに吸収した画家の一人として吉田博は語られる。実際、彼の風景画には印象派以後の外光表現や空気遠近法の影響を見ることができる。光は移ろ...
アート

混ぜすぎた美術史 42 ~翻訳される近代と,もうひとつのモダニズム

往復するカツカレー 20世紀前半、日本における近代美術の変化は、単なる西洋化ではなかった。それは異文化を受け入れ、ずらし、組み替えながら、自らの表現へと変換していく複雑な翻訳のプロセスであった。 明治維新以後、日本は国家的な...
音楽

UA『11』、エリカ・バドゥ『Baduizm』、アウトキャスト『Aquemini』― 身体の再編

深度・浮遊・拡散としてのリアル 軽やかさが文化として定着したあと、音楽は再び身体へと接続し始める。ただしそれは、かつてのように感情を増幅し、自己を強く打ち出すかたちではない。むしろ、軽やかさを通過したあとに、身体をどのように扱い直す...
音楽

ディーライト『World Clique』、セイント・エティエンヌ『Foxbase Alpha』、ピチカート・ファイヴ『女王陛下のピチカート・ファイヴ』― 祝祭と都市、そして完成されたポップ

開かれる軽やかさ 軽やかさは、一度提示されたあと、ただ定着するだけではない。むしろそれは、より開かれ、より共有されることで、別のかたちのリアルへと変化していく。その転換点を示すのが、ディーライト(Deee-Lite)、セイント・エテ...
音楽

アズテック・カメラ『High Land, Hard Rain』、デ・ラ・ソウル『3 Feet High and Rising』、フリッパーズ・ギター『Three Cheers for Our Side』― 三つのファースト・アルバムと摩擦のリアル

カツカレーの生成と増殖 ある時期、ポピュラー音楽において「よさ」や「リアル」の定義が静かに更新された。しかしそれは滑らかな移行ではなく、自己存在の証明を音楽に求める感覚とのあいだに、はっきりとした摩擦を伴っていた。 従来のロッ...
コラム・アート概論

コラム28:カツカレーカルチャリズム的鑑賞

感覚の翻訳としての芸術と社会 芸術作品の鑑賞は、長らく「理解」や「解釈」の問題として扱われてきた。作者の意図や時代背景、様式の位置づけを明らかにし、それを言語によって整理すること。しかしそのプロセスは、ときに作品を切り分けすぎてし...
コラム・アート概論

コラム27:時間の不在、その強度 ~ YBA展を観て

制作の質はどこにあるのか 先日、YBA展(テート美術館 - YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート)を観た。洗練された展示空間と印象に残る作品群によって、全体として見ごたえのある内容だった。一方で、いくつか引っ...
コラム・アート概論

コラム26:民族の理想と国家の戦略

可視化される欲望の変容 スラヴ民族の精神的統一を壮大な歴史画として描いたのが、アルフォンス・ミュシャである。代表作《スラヴ叙事詩》(1910–1928)は、民族の苦難と栄光を描き出し、その歴史と精神を可視化する試みであった。ここに見...
アート

混ぜすぎた美術史 41 ~エル・リシツキー

エル・リシツキー(1890–1941、ロシア/ソビエト) 越境する設計図 ロシア・アヴァンギャルドにおいて、その成果を一国の内部にとどめず、国際的な視覚言語へと接続したのがリシツキーである。彼はシュプレマティスムと構成主義のあ...
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