ステラとラウシェンバーグ。
この二人を並べると、戦後美術の流れが少し違って見えてくる。
二人は、同じ方向へ進んだのではない。
ステラは、絵画の内部へ入っていった。
線、形、支持体、平面、色。
絵画を支えている条件を一つずつ取り出し、それを突き詰めていった。
ところが、絵画を純化していくほど、絵画は平面の中に収まらなくなった。
画面の形が変わり、壁から飛び出し、やがて巨大な立体や空間へ広がっていく。

絵画を純粋にしようとした結果、絵画は空間になっていった。
ラウシェンバーグは逆だった。
彼は絵画の外へ出ていった。
新聞、写真、家具、衣服、タイヤ、動物。
美術の外にあったものを、次々と作品の中へ入れていった。
しかも、それは必ずしも「文化的に価値のあるもの」ではなかった。
新聞の切り抜きも、古い家具も、日用品も、拾ったものも、ゴミに近いものも作品の中に入ってくる。

ラウシェンバーグにとって、世界はすでにそこにある。
だから、それを作品から排除する必要がなかった。
ステラが文化や歴史、建築や装飾といった外部を、設計された形態へ組み込んでいったとすれば、ラウシェンバーグはもっと身近な生活の中からものを拾い上げていった。
一人は、文化を形式へ組み込む。
もう一人は、生活を作品へ持ち込む。
一人は組み上げる。
もう一人は拾い集める。
同じ「混ぜる」でも、混ぜ方が違う。
しかし、どちらも作品を一種類の素材だけで完結させなくなった。
ステラの後期作品には、絵画、彫刻、建築、装飾、文学、歴史、工業技術が入り込んでくる。

ラウシェンバーグのコンバインには、絵具、写真、新聞、家具、日用品、身体、偶然が入り込んでくる。
作品は、異なるものが同居する場所になっていった。
ここに、美術史の大きな裂け目がある。
一人は、絵画の内部から外へ。
もう一人は、外部から絵画の内部へ。

方向は反対だが、二人が揺さぶったものは同じだった。
美術の境界である。
ここから、美術は一つの方向へ進まなくなる。
ステラからは、ミニマル・アートへ向かう流れが見えてくる。
形を単純化し、作者の身振りを減らし、作品を成立させる条件そのものを見せる。

そこから、作品を物質ではなくルールや言葉、状況として考えるコンセプチュアル・アートへもつながっていく。
さらに、作品と空間との関係が前面に出れば、彫刻は一個の物体ではなく、見る人が身体で経験する場所へ変わっていく。
インスタレーションである。
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ステラの晩年の巨大な立体作品でさえ、単純に「絵画から彫刻へ」と考えるより、絵画が空間そのものを設定するものへ変わっていったと見るほうが、その後の展開をよく説明できる。
一方、ラウシェンバーグからは、ポップ・アートへ向かう流れが見えてくる。
広告、商品、スター、漫画、新聞。
すでに社会の中に存在しているイメージを、作品の素材として扱う。
ここで作品は、「自分で何かをつくる場所」から、「すでに存在しているものを選び、組み合わせ、別の関係に置く場所」へ変わっていく。
ラウシェンバーグが新聞や写真を作品に持ち込んだとき、それは単に異素材を組み合わせたというだけではなかった。
「作品の外にあるものを、作品の材料として扱っていい」という可能性を開いたのである。
その可能性は、ポップ・アートの時代には商品やスター、広告や漫画へと広がっていく。

そしてさらに時代が進むと、作品の素材は「物」から「イメージ」へと移っていく。
1980年代のシュミレーショニズムでは、広告、ブランド、映画、写真、デザイン、既存の美術作品など、すでに流通しているイメージそのものが作品の材料になっていった。

ここでは、世界にあるものを拾ってくるだけではない。
すでに誰かによってつくられ、複製され、流通しているイメージを引用し、コピーし、ずらし、組み替える。
ラウシェンバーグの「拾う」という行為は、時代が進むにつれて「引用する」「複製する」「再編集する」という行為へ変わっていったとも考えられる。
もちろん、ラウシェンバーグとシュミレーショニズムを直接の系譜として結ぶことはできない。
しかし、「すでにあるものを作品の材料にする」という可能性の層は、確かに重なっている。

1950年代のラウシェンバーグにとって、世界とは新聞や家具やタイヤだった。
ポップ・アートになると、それは商品やスターや広告になった。
そしてシュミレーショニズムの時代には、世界そのものがすでにイメージで覆われていた。
だから作品に入ってくるものも、現実の「物」から、現実を代表する「イメージ」へ変わっていった。

ここで美術における「つくる」という行為の意味も変わってくる。
何もないところから新しいものを生み出す。
それだけが創造ではなくなる。
すでにあるものを、どう選ぶか。
どう切り取るか。
どう並べるか。
どの文脈から別の文脈へ移すか。
何と何をぶつけるか。
編集することそのものが、創造になっていく。
一方、ステラの側にも別の可能性が生まれていた。
ステラは絵画から筆跡や個人的な身振りを減らし、形を規則化し、支持体を設計し、やがて金属を工業的に加工して巨大な作品を組み上げていった。

そこでは、手で描かれた絵画が、次第に製造された製品のような表面を持つようになる。
これはステラ自身が意図していた「製品化」ということではない。

しかし、作品の中には、後の美術へ展開していく可能性がすでに含まれていた。
手仕事から製造へ。
絵画から物体へ。
物体から、工業製品のような完成度へ。
この方向をさらに極端に進めれば、ジェフ・クーンズのような作品にも接続できる。
クーンズは既存の商品や玩具、広告的なイメージを、工業製品のような精度で作品にする。
そこでは作品そのものが、高度に製造された製品のように見えてくる。

一方、ラウシェンバーグからシュミレーショニズムへ向かう流れでは、既存のイメージそのものが素材になっていく。
つまり、ステラ側では「作品そのものが製品へ近づく」可能性が、ラウシェンバーグ側では「作品が既存イメージの編集へ近づく」可能性が開かれていった。
この二つは、どちらもステラやラウシェンバーグが最初から目指していた未来ではない。
しかし、作品には作者が意図した以上の可能性が含まれていることがある。
ある時代には見えなかったものが、後の時代になって初めて見えてくる。
美術史は、そうした可能性を後から発見していく作業でもある。
だから、ステラやラウシェンバーグから後の美術を考えるとき、単純な「影響関係」だけでは足りない。
重要なのは、二人の作品の中に、まだ名前のついていない可能性がいくつも含まれていたということだ。
その可能性が、別の時代の作家によって拾われ、変形され、別の方向へ伸びていく。

ここから、美術はますます複数の方向へ分岐していく。
作品を物質として考えること。
空間として考えること。
言葉として考えること。
社会のイメージを扱うこと。
既製品を使うこと。
土地や環境そのものを作品にすること。
身体を作品にすること。
あるいは、絵画性や身体性をいったん捨てたあと、もう一度それを持ち込むこと。
アース・アートも、インスタレーションも、コンセプチュアル・アートも、ネオ・エクスプレッショニズムも、それぞれ別の歴史を持っている。



だから、すべてをステラやラウシェンバーグから説明することはできない。
しかし、二人が開けた裂け目によって、「何を作品にしていいのか」という問いそのものが変わった、と考えることはできる。
以前なら、絵画なら絵画らしく、彫刻なら彫刻らしくつくらなければならなかった。
しかし、ここからは違う。
絵具でもいい。
鉄でもいい。
新聞でもいい。
ゴミでもいい。
言葉でもいい。
身体でもいい。
土地でもいい。
既製品でもいい。
既存のイメージでもいい。
あるいは、何かをつくらなくてもいい。
重要なのは、それが何であるかよりも、何を作品として設定し、何と何を関係させるのかになっていく。
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美術は、純粋な形式を更新する競争から、世界の中に新しい関係を設定する行為へ変わり始めた。
「新しいものをつくる」ことだけが、新しさではなくなった。
すでにあるものの組み合わせを変えること。
別の場所へ移すこと。
異なる時間や文化を重ねること。
見慣れたものを、別の角度から見せること。
そこにも、新しさが生まれる。

だから、ステラとラウシェンバーグは、現代美術の二人の巨匠というだけではない。
彼らは、美術史に大きな裂け目をつくった。
その裂け目から、ミニマルも、ポップも、コンセプチュアルも、インスタレーションも、アース・アートも、シュミレーショニズムも、そして後のさまざまな混成的な表現も流れ出していった。
絵画は、絵画だけではなくなった。
彫刻も、彫刻だけではなくなった。
そして美術は、何か一つの純粋なものをつくる場所ではなくなっていく。

何を入れるか。
何を置くか。
どこに置くか。
何と何を関係させるか。
何を引用し、何をずらすか。
その組み合わせそのものが、創造になる。
美術はここから、ますますキメラになっていく。



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