混ぜすぎた美術史 134 ~草間彌生

アート

草間彌生(1929–2026、日本)

水玉が社会に出ていくとき

草間彌生の晩年の絵画には、初期の作品とは違った明るさがある。

四角く区切られた画面に、鮮やかな色彩や花、顔のようなモチーフが並ぶ。形は反復され、画面はにぎやかに埋め尽くされていく。そこには、見ることの楽しさや、ポップなイメージとしての親しみやすさがある。

出典:Artpedia/草間彌生『

一方で、こうした作品には批判もある。初期の《無限の網》に見られた切実さが薄れ、同じモチーフが繰り返されることで自己模倣に陥っている。あるいは、草間彌生という名前そのものがブランドとなり、作品が観光や商業のためのイメージになっている、という見方だ。

出典:Artpedia/草間彌生『無限の網」

確かに、初期の作品と晩年の作品では、画面の性格が違う。しかし、その変化を、前衛的な表現が大衆向けの装飾へと後退した結果としてだけ捉える必要はないのではないか。

出典:Artpedia/草間彌生『無限の網」

初期の作品では、網や水玉を描き続ける行為そのものが、作品の中心にあった。反復は、何かを説明するための手段というより、描くことをやめられないという内的な必然から生まれていたように見える。

出典:Artpedia/草間彌生『パンプキン」

それに対して、晩年の作品では、反復が画面を組み立てる方法としても働いている。色や形が配置され、それぞれのモチーフが画面の中で関係をつくる。無限に広がっていくような感覚だけでなく、限られた画面をどう構成するかという問題が前に出てくる。

反復は、不安や自己の消失を感じさせるものから、画面をつくり、見る人を引きつけるものへと、その働きを広げている。

出典:Artpedia/草間彌生『インフィニティ・ミラールーム」

もちろん、これは初期から晩年への単純な変化ではない。初期の作品にも画面を組み立てる意識はあり、晩年の作品にも執拗な反復は残っている。ただ、草間が自らの形式を、異なる目的や見え方に向けて展開していったことは確かだろう。

ここで思い出すのが、草間が水玉を平和のイメージとして語っていることだ。

出典:Artpedia/草間彌生『天に降りてきたかぼちゃの精霊たち」

水玉そのものを見ても、平和という意味がすぐに浮かぶわけではない。増殖する水玉には、楽しさや親しみやすさだけでなく、圧迫感や不安、個々の形が全体に飲み込まれていくような感覚もある。作品は、作家が言葉にした意味だけでは収まりきらない。

出典:Artpedia/草間彌生『天に降りてきたかぼちゃの精霊たち」

しかし、作家が作品について語ることによって、見る人の受け取り方が変わるのも事実だ。作品に言葉が加わり、作家の人生や思想が知られることで、ひとつの形は別の場所へと運ばれていく。

水玉は、草間の個人的な表現であると同時に、平和や愛、宇宙を語るためのイメージにもなる。さらに、草間という作家を知らない人にとっても、ひと目でそれとわかる視覚的な記号になっていく。

出典:Artpedia/草間彌生『毎日愛を祈る絵」

この変化を、作品の商業化として批判することはできる。ただし、社会に広く共有されるイメージになったこと自体を、表現の価値が失われた証拠と考える必要もないだろう。

絵画は、画面の中だけで生きているわけではない。作家の言葉、美術館での展示、印刷物や写真、街の中で目にするイメージ。それらを通して、作品の意味や価値は少しずつ変化していく。晩年の草間は、そのことを非常にわかりやすい形で示している。

出典:Artpedia/草間彌生『毎日愛を祈る絵」

ただし、広く知られることには、別の問題もある。水玉を見た瞬間に「草間彌生らしさ」が浮かぶようになると、私たちは作品そのものを見る前に、すでに知っている物語を見てしまうかもしれない。作家の言葉が作品を見る入口になる一方で、その言葉が作品の意味を先回りして決めてしまうこともある。

出典:Artpedia/草間彌生『毎日愛を祈る絵」

草間の晩年の作品には、こうした両面がある。ポップで親しみやすく、誰もが楽しめるイメージでありながら、そこには個人的な反復から生まれた形式が残っている。美術の歴史に位置づけられる作品でありながら、社会の中を流通するイメージでもある。

どちらか一方を選ぶのではなく、その両方が存在することを見ておきたい。

出典:Artpedia/草間彌生『かぼちゃの精たち天へ降りた」

草間は、初期の切実な反復を捨てて、晩年にポップな絵画へと転向したのではない。自分の中から生まれた形式を、絵画の構成にも、作家自身の言葉にも、社会に共有されるイメージにも展開していったのだ。

彼女は皿に、個人的な切実さと大衆的な楽しさを、溶け合わないまま隣り合わせに盛るように、草間彌生という美術をつくり上げたのだ。

出典:Artpedia/草間彌生『毎日愛を祈る絵」

PS. 草間彌生のキャリア全体や、その作品がどのように評価されてきたのかについては、別稿「カツカレーカルチャリズム画家列伝44~草間彌生編 ―オブセッション、ケア、そしてカツカレー的成功」で詳しく取り上げています。興味のある方は、下のリンクから、そちらもどうぞ。

カツカレーカルチャリズム画家列伝44 ~草間彌生 編 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ

コメント

タイトルとURLをコピーしました