混ぜすぎた美術史 100 ~ミニマル&コンセプチュアルアート ─ 栄養機能食品としての美術

アート

純粋性はなぜサプリメントになったのか

出典:Artpedia/ドナルド・ジャッド「無題」

抽象表現主義は、絵画という料理が最も豊潤になった瞬間だった。

そこには、絵具の物質感、作家の身体、制作の時間、無意識、精神性といった多くの要素が混ざり合っていた。ポロックのドリッピングやロスコの色面は、単なる視覚情報ではなく、身体全体で受け取る体験だった。

絵画は、見るものというより、そこに入り込むものだった。

しかし、その豊かさは同時に問題も生んだ。

絵画はあまりにも多くのものを背負いすぎていた。

芸術は、歴史、個人の精神、身体性、社会的意味をすべて引き受ける巨大な料理になっていた。

そこで1960年代、美術は自らを分解し始める。

出典:Artpedia/ロバート・ライマン「無題」
出典:Artpedia/アグネス・マーティン「無題」
出典:Artpedia/カール・アンドレ「エクイバレントVIII」
出典:Artpedia/ダン・フレヴィン「5月25日の対角線」
出典:Artpedia/ロバート・モリス「無題(L字ビームズ)」

マルセル・デュシャンが示した「芸術は物ではなく、考え方によって成立する」という可能性と、抽象表現主義が追求した「絵画の純粋な経験」が出会ったとき、美術は自分自身の成分分析を始めた。

ミニマル・アートは、絵画から物質的条件だけを抽出した。

形態、素材、空間。

それ以外の要素を極限まで排除することで、作品が成立する最小条件を探った。

出典:Artpedia/ソル・ルウィット「連続プロジェクト(ABCD)』
出典:Artpedia/リチャード・セラ「ワントンの小道具(ハウス・オブ・カード)』

コンセプチュアル・アートは、さらに作品から概念だけを抽出した。

物ではなく、アイデアそのものが芸術になる可能性を提示した。

それは、料理から栄養素を取り出す作業に似ている。

出典:Artpedia/ジョセフ・コスース「一つと三つの椅子」

カツカレーから米、カレー、豚肉を分離し、「カツカレーとは何か」を分析するようなものだ。

この抽出によって、美術は新しい自由を得た。

絵画という形式に縛られることなく、物体、行為、言語、制度そのものを芸術の領域に含めることができるようになった。

しかし同時に、美術は栄養表示を必要とするようになった。

なぜこの物体が作品なのか。

なぜこの行為が芸術なのか。

どのような社会的、制度的意味を持つのか。

作品を見るためには、視覚的な体験だけではなく、説明や批評という「栄養成分表示」が必要になった。

出典:Artpedia/ローレンス・ウェイナー「壁から石膏や壁板を取り外すための36インチ×36インチのラッシングまたは支持壁の撤去」

それは美術が弱くなったということではない。

むしろ、情報化し、複雑化した社会の中で、美術が自分自身を維持するために獲得した新しい栄養素だった。

しかし、その後の現代美術では、この栄養素そのものが目的化することもあった。

コンセプト、批評性、社会的テーマだけが先行し、作品がまるで栄養機能食品のようになる。

必要な成分はすべて含まれている。

健康的で、正しい。

しかし、いつしか美術は別の意味での「健康管理」に向かい始めた。

出典:Artpedia/メル・ポックナー「作業用図面や、必ずしもアートとして見られるわけではない紙の上の他の目に見えるもの」

余計なものは削る。

感情は抑える。

装飾は避ける。

身体的な快楽より、正しい成分を摂取する。

それは、カロリーメイトを中心に、チキンバーとブロッコリーを欠かさないダイエットのようでもある。

出典:Artpedia/メル・ポックナー「作業用図面や、必ずしもアートとして見られるわけではない紙の上の他の目に見えるもの」

もちろん、それは間違いではない。

身体を維持するためには必要な食事であり、美術においても批評性や概念性は重要な栄養素である。

しかし、人間は栄養だけでは文化を作らない。

食事には、香り、温度、偶然、記憶、誰と食べるかという時間が必要になる。

料理には、効率では測れない余剰がある。

出典:Artpedia/ジェニ―・ホルツァー「真理」

カツカレーカルチャリズムとは、まさにその地点から始まる。

一度分解された栄養素を否定するのではなく、それらを知ったうえでもう一度料理に戻す。

抽象表現主義の身体性。

ミニマルの構造意識。

コンセプチュアルの批評性。

ポップカルチャーや個人的記憶。

それらを混ぜ直し、現在の味として提示する。

出典:Artpedia/ジェニ―・ホルツァー「何とも言えないもの」

カツカレーは、純粋な料理ではない。

カレーという異文化、豚カツという洋食化された日本文化、ご飯という日本の主食が混ざり合った、過剰で矛盾した料理である。

しかし、その混ざりすぎた状態こそが文化になる。

純粋性を追求した結果、美術は一度サプリメントになった。 そして現在、美術はもう一度、人間が味わう料理へ戻ろうとしている。

出典:Artpedia/ジェニ―・ホルツァー「何とも言えないもの」

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