混ぜすぎた美術史 91 ~リー・クラズナー

アート

リー・クラズナー(1908–1984、アメリカ)

更新し続ける絵画──純粋になりきらない強さ

リー・クラズナーは、長いあいだ「ジャクソン・ポロックの妻」として語られることが多かった。しかし現在では、抽象表現主義のなかでも最も柔軟で、多様な可能性を抱えた画家の一人として再評価されている。

出典:Artpedia/リー・クラズナー「命令的」

若い頃のクラズナーは、アカデミックな素描からキュビスム、抽象絵画まで幅広く学び、ニューヨークでヨーロッパ近代美術を最も深く吸収した世代だった。彼女にとって抽象とは、一つの様式ではなく、さまざまな表現が交差する場だったのである。

そのため、彼女の作品は一つの方向へ純化されていかない。

出典:Artpedia/リー・クラズナー「ミルクウィード」

幾何学的な構成が現れたかと思えば、有機的な曲線が入り込み、激しい筆致のなかにも繊細な色彩のリズムが残る。抽象でありながら、植物や身体、文字のような気配が画面のどこかに漂っている。

出典:Artpedia/リー・クラズナー「ハクトウワシ」

その画面は、ときに「整理されていない」とも見える。しかし、それは未完成なのではない。異なる時間や経験が、一枚の画面のなかで共存しているのである。

出典:Artpedia/リー・クラズナー「北へ」

1950年代には、自ら描いた作品を切り刻み、新たな画面へ組み替える《コラージュ》のシリーズにも取り組んだ。そこでは、一度完成した絵画でさえ、さらに次の作品の素材となる。彼女にとって制作とは、完成へ向かう一本道ではなく、過去を受け入れながら更新され続ける循環だった。

出典:Artpedia/リー・クラズナー「砕けた光」

ポロックが身体の運動を画面へ解放したとすれば、クラズナーは絵画そのものの記憶を画面へ残した。過去の様式も、新しい試みも、失敗も成功も、一つの画面のなかで互いに消し合うことなく存在している。

出典:Artpedia/リー・クラズナー「磁器」

そのため現在の視点から見ると、クラズナーの絵画は抽象表現主義の「純粋性」から少し距離を置いているようにも見える。むしろ、異なる表現が混ざり合い、なお一つの作品として成立するその在り方は、現代の多様な文化やポストモダン以降の感覚にも響いてくる。

出典:Artpedia/リー・クラズナー「ザ・シーズンズ」

クラズナーは、一つの答えを求めなかった。彼女が描き続けたのは、変化することそのものだった。絵画とは、一つの様式へ到達することではなく、多様な経験を抱えたまま更新され続けることができる。そのことを、彼女の作品は静かに教えてくれる。

出典:Artpedia/リー・クラズナー「コルヌコピア」

クラズナーの絵画は、純粋になることを目指したのではない。むしろ、純粋になりきれない豊かさを引き受けた絵画だった。その画面には、削ぎ落とされなかった時間が積層している。だからこそ、その作品は今日、抽象表現主義のなかでも最も現代的に見えるのである。

出典:Artpedia/リー・クラズナー「聞いて」

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