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円環する感受性 ― 音楽体験と戦後美術の運動

 1980年代から90年代にかけての洋楽体験は、多くの聴き手にとって単なる流行以上の意味を持っていた。それはジャンルの更新というより、表現の駆動原理そのものが切り替わる瞬間に立ち会う経験だったと言える。  マイケル・ジャクソンやプリ...
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理屈より先に、うまい ― トランス以前/以後のロック ~ ドアーズとクーラ・シェイカー、入口を開いてしまった二つの1st

ドアーズ ロックはいつ「場」を失ったのか ロックが強度を持っていた時代とは何だったのか。その問いを立てるとき、しばしば語られるのは政治性や反抗、世代論である。しかし本稿では別の角度から考えたい。ロックが本当に力を持っていた瞬間...
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まかないからメニューへ ― ビョークの一時代 ~ ポストとホモジェニックのあいだ

ビョークをどこで聴き終えるか ビョークという音楽家は、しばしば「すべてを通して聴くべき存在」として語られる。デビューから最新作までを一本の進化の物語として捉え、実験性の深化やコンセプトの高度化を評価軸に置く語り方である。しか...
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デビッド・ボウイとブラック・スター ― 変化をやめたとき、変化は完成する

ブラックスターは例外ではない デヴィッド・ボウイの『Blackstar』は、しばしば「最晩年の奇跡」「死を予見した特別な作品」として語られる。しかし、その特別さを強調しすぎることは、ボウイという存在の本質を見誤らせる危険をは...
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デビッド・ボウイの1990年代 ― 主体の後退とプロデューサー的創造性の時代

変化の英雄から、変化の媒介者へ 1990年代のデヴィッド・ボウイは、しばしば「評価の難しい時期」として語られてきた。『Black Tie White Noise』『Outside』『Earthling』と続く一連の作品群は、...
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デビッド・ボウイとティン・マシーン ― 変化を止めるために、変化を選んだ地点

「失敗作」という誤解から始める必要性 ティン・マシーンは、デヴィッド・ボウイのキャリアの中でも、最も評価が割れ、最も語られにくい時期である。商業的成功には結びつかず、代表曲も生まれにくく、後年の回顧においても軽視されがちだ。...
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デビッド・ボウイの1980年代 ― 変化が「必然」から「使命」へと転位した時代

成功の時代としての80年代 デヴィッド・ボウイの1980年代は、一般的には「成功の時代」として語られる。『Let’s Dance』を起点とする世界的ヒット、巨大なツアー、MTV時代の象徴的なイメージ。これらは確かに事実であり...
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デビッド・ボウイの1970年代 ― 変身が状態になる前

ボウイの余剰と浸透圧 グラムという過剰 ― ジギー・スターダストのカツカレー性 1970年代初頭のデヴィッド・ボウイは、しばしば「変身の人」として語られる。ジギー・スターダストという異星的なキャラクターをまとい、グラム...
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完成の内部で止まる音楽 ― バルトークのヴァイオリン協奏曲と宙づりのモダン

封印された協奏曲と、残された協奏曲 バルトークのヴァイオリン協奏曲は二曲存在する。しかしこの二曲は、単に初期と後期の作品という以上に、彼が「モダンとは何か」をどのように捉え直していったかを、きわめて鮮明に示す対照的な関係にあ...
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2つの宙づりのモダン ―ドルフィー『アウト・トゥ・ランチ!』、マイルス『ネフェルティティ』について

エリック・ドルフィー『アウト・トゥ・ランチ!』 エリック・ドルフィーの『Out to Lunch!』(1964年)は、フリー・ジャズの代表作として語られることが多いが、その音楽的実態は、一般に想定される「自由即興」や「無調的...
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