ロベルト・マッタ(1911–2002、チリ)
内部宇宙の建築家 ― 流動化する空間
20世紀前半、故郷は移動し、身体は分裂し、記憶は不安定なものになっていった。
しかし ロベルト・マッタ の絵画では、その変化はさらに一歩進む。
風景そのものが消え始めるのである。

建築を学んだ彼は、若くしてヨーロッパへ渡り、やがてシュルレアリスムに参加する。しかし彼の関心は夢の物語ではなかった。むしろ、人間の意識や感情がどのような空間として存在しうるのかという問題に向けられていた。
たとえば《地球は人間》では、人物と空間、機械と生物、内部と外部の区別が曖昧になっている。そこに描かれているのは風景ではない。しかし抽象画とも言い切れない。色彩や線は有機的に増殖し、何かが生成し続けている場そのものが画面を満たしている。

また《夜の侵入》では、空間は建築のようでありながら生物の内部のようでもある。壁なのか身体なのか、機械なのか神経なのか判然としない形態が複雑に接続され、見る者はどこにも安定した視点を見つけることができない。

そこでは世界はもはや固定された場所ではない。
空間そのものが変形し続ける。
人間の内面は部屋のように広がり、都市は生物のように脈動し、機械は夢のように流動化する。
この感覚は、戦争と大規模な移動によって世界の輪郭が揺らぎ始めた20世紀前半の経験とも重なっている。かつて安定していた国家、共同体、故郷といった枠組みは崩れ、人々は複数の文化や価値観のあいだを移動するようになる。
マッタの絵画は、その不安定な時代の精神風景を可視化したものとも言える。

しかし彼はその混乱を悲劇として描かない。
むしろ異なるものが接続し、新しい空間が生成される瞬間に強い関心を向けている。
身体と機械。
建築と生物。
科学と神話。
夢と現実。
それらは対立項として存在するのではなく、絶えず変形しながら互いの内部へ入り込んでいく。

その意味でマッタは、シュルレアリスムの画家であると同時に、戦後美術への扉を開いた作家でもあった。彼の流動的な空間は、後の抽象表現主義やサイケデリック文化、さらにはデジタル時代のネットワーク的想像力さえ先取りしているように見える。

カツカレーカルチャリズムの視点で見れば、彼は皿の上に「精神の風景」と「機械化する世界」を同時に盛りつけたのである。
そしてその皿の上では、もはや風景も身体も故郷も区別できないまま、新しい宇宙が増殖し続けていた。

カツカレーカルチャリズム画家列伝31 ~ロベルト・マッタ 編 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ


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