混ぜすぎた美術史 85 ~岡本太郎

アート

岡本太郎(1911–1996、日本)

日本を掘り起こす――世界を知って見つけた未来

戦後日本美術の中で、岡本太郎ほど「未来」を語った画家はいない。

しかし、彼の未来は、西洋に追いつくことでも、近代を完成させることでもなかった。

若き日の岡本はパリへ渡り、前衛芸術や民族学、哲学を学んだ。とりわけジョルジュ・バタイユらの思想は、人間を合理性だけでは説明できない存在として捉え直す契機となった。祭りや神話、呪術、暴力、生命――近代が切り捨ててきたものの中にこそ、人間の本質が宿る。その認識は、岡本の芸術の根底を貫くことになる。

出典:Artpedia/岡本太郎「痛ましき腕」

戦争を経験して帰国した彼が見たのは、焼け跡だけではなかった。西洋近代を追い続けるあまり、自らの文化を見失いかけた日本の姿でもあった。

だから岡本は、日本の過去へ向かう。

縄文土器、祭り、民俗、神話。それらは懐かしむべき遺産ではなく、未来を生み出す生命の源として彼の前に現れたのである。

《森の掟》では、人間とも動物とも植物ともつかない生命たちが画面いっぱいに絡み合う。その世界はシュルレアリスムとも漫画とも神話画とも言い切れず、あらゆる分類を拒む。生命は絶えず変化し、侵食し合い、新しい形を生み出していく。その画面そのものが、生き物のように脈動している。

出典:Artpedia/岡本太郎「森の掟」

ここで重要なのは、岡本が生命を主題として描いたのではないということである。渦巻く線、鋭くぶつかり合う色彩、中心を持たず増殖し続ける構成――それらは生命という認知が、そのまま絵画の形式へと変わった姿である。画面の中で生命が表現されるのではなく、画面そのものが一つの生命体として呼吸し始めるのである。

この生命観は、1970年の《太陽の塔》で巨大な象徴となる。大阪万博は、科学技術と経済成長を祝う近代文明の祭典だった。その中心に岡本が立ち上げたのは、縄文を思わせる巨大な呪術的存在である。

出典:Artpedia/岡本太郎「太陽の塔」

塔の内部を貫く「生命の樹」は、進歩だけでは語れない生命の歴史を示し、万博という合理の祝祭を、生命そのものの祝祭へと反転させた。

出典:Artpedia/岡本太郎「太陽の塔(内部)ー生命の樹」

その思想は、《明日の神話》へと受け継がれる。原爆という人類最大級の破壊を描きながら、この壁画は絶望で終わらない。破壊された身体はなお生命のエネルギーを放ち、悲劇は未来へ向かう神話へと描き替えられる。

出典:Artpedia/岡本太郎「明日の神話」

岡本は、過去を忘れることも、美化することもしなかった。過去を未来へと変換することで、人間が生きる力そのものを描こうとしたのである。

出典:Artpedia/岡本太郎「明日の神話」

岡本太郎は、日本文化を保存した画家ではない。世界を知った眼差しで日本を見つめ直し、その中に眠る生命力を掘り起こした画家だった。そして彼が受け継ごうとしたのは縄文の形ではなく、生命が絶えず生成し続けるという認知そのものである。その認知を現代の造形へと編集し、新しい文化として提示したのである。

出典:Artpedia/岡本太郎「若い夢」

彼は、西洋と日本、理性と呪術、近代と原始、芸術と祭りという異なる世界を一つへ回収することはしなかった。それらを一枚の皿の上に大胆に盛り付け、それぞれの強烈な味わいを保ったまま、新しい「日本」という文化を生み出した画家だったのである。そしてその作品は、生命という思想を語るだけではなく、生命そのものが造形へと変わる瞬間を示した、日本近代美術の最も力強い到達点の一つなのである。

出典:Artpedia/岡本太郎「重工業」

カツカレーカルチャリズム画家列伝24 ~岡本太郎 編 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ

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