ア・トライヴ・コールド・クエスト(A Tribe Called Quest)の再結成作『ウィ・ゴット・イット・フロム・ヒア…サンキュウ―・4・ユア・サービス(We got it from Here… Thank You 4 Your service)』を聴いていると、1990年代の彼らが戻ってきたような感覚がある。

ジャズ、ファンク、ソウル、ロック。太いベース、複雑なドラム、断片的な声。異なる音が次々と現れ、それらが一つのビートの中に収まっていく。
特に感じるのは、3枚目の『ミッドナイト・マローダーズ(Midnight Marauders)』を思わせる音の豊富さだ。あのアルバムには、サンプリングという方法そのものへの発見の喜びがあった。世の中にはこれほど面白い音があり、それをこんなふうに組み合わせられる。まるでサンプリング音楽の見本市のようだった。

ただし、『ウィ・ゴット・イット・フロム・ヒア…』の音は、そこまで明るくない。
音像には少し濁りがあり、低域は重く、素材もキラキラと磨かれているわけではない。むしろ、4枚目の『ビーツ、ライムズ、そして人生(Beats, Rhymes and Life)』にあった陰影が戻ってきている。

そこには、20年近い時間が沈殿している。
そして、このアルバムで面白いのは、Q-ティップ(Q-Tip)が「新しい音を発見する人」というより、膨大な引き出しを持ち、その組み合わせ方を知っている編集者として聴こえてくることだ。
何をサンプリングしたのか以上に、何と何を隣り合わせたのかが面白い。

ファイフ・ドッグ(Phife Dawg)の声にバスタ・ライムス(Busta Rhymes)を重ねる。過去のネイティヴ・タン(Native Tongues)につながるラッパーを、2016年の音の中に置く。ケンドリック・ラマ―(Kendrick Lamar)やアンドレ3000(André 3000)、ジャック・ホワイト(Jack White)らを呼び込み、世代もジャンルも異なる音を同じ場所に置く。

ここでは、サンプリングは単に「過去の音を借りる技術」ではない。
過去に蓄積されたものを、現在の関係に組み替える方法になっている。
だから、この作品ではトライヴ自身の歴史までが素材になる。
これは彼らの再結成だからこそ可能だった。
1990年代、彼らは若かった。ジャズとラップ、ファンクとヒップホップ、異なる声を一つのビートに組み合わせること自体が、新鮮な音楽的快楽だった。

しかし20年以上が経ち、彼ら自身が歴史になった。
その時間を経て再び集まった彼らの前には、当時とは違うアメリカがあった。
2016年、トランプの選挙運動を背景に、人種、移民、宗教、階級などをめぐる分断が強まり、「誰がこの社会に属するのか」という問題が前景化していた。
「ウィ・ザ・ピープル…(We the People…)」では、そうした排除の言葉に真正面から応答する。
ここで、トライヴが音楽の中で長年やってきたことが、社会的な意味を帯びてくる。

彼らは昔から、異なるものを同じビートに置いてきた。
違いを消して一つにするのではなく、違ったまま組み合わせる。
それは、ジャズとラップを混ぜることと同じように、異なる世代や文化を一つの場に置くことでもある。
再結成そのものも、その実践になっている。
かつてのメンバーが集まり、バスタ・ライムスのような旧友からケンドリック・ラマ―や ジャック・ホワイトまで、異なる世代と背景を持つ人々が同じ作品に参加する。


そこでは、過去と現在もまた同じ場所に置かれる。
だから『ウィ・ゴット・イット・フロム・ヒア…』は、単なる復活作でも、黄金期へのノスタルジーでもない。
長い時間の中で蓄積された音楽と人間関係を、現在の社会へもう一度配置し直した作品なのだ。
若い頃の創造は、新しいものを見つけることだった。

成熟したトライヴにとっての創造は、すでに持っているものの組み合わせを変えることだった。
そのとき、編集は単なる音楽制作の方法を越えていく。
異なるものを同じ場所に置き、そこから新しい関係をつくる。
『ウィ・ゴット・イット・フロム・ヒア…』には、その編集感覚が、音楽だけでなく社会に対する態度としてまで現れている。

トーマス・ヒルシュホーン ─ 引き出しを増殖させる彫刻
トーマス・ヒルシュホーンの作品を見ると、まず「多すぎる」と感じる。
段ボール、テープ、アルミホイル、写真、新聞、雑誌、文字、映像、家具。そこに哲学や政治、日常の出来事、人々の活動まで入り込んでくる。
しかし、重要なのは単に物が多いことではない。ヒルシュホーンは、異なるものを一つの意味にまとめるのではなく、それぞれを残したまま隣り合わせ、新しい関係をつくっていく。
たとえば2013年の《グラムシ・モニュメント》では、哲学者アントニオ・グラムシを記念する「彫刻」だけをつくったのではない。図書館、新聞、ラジオ、コンピューター室、劇場、バー、ワークショップなどをつくり、ニューヨークの公営住宅の住民とともに運営した。

一つの思想から、文章、写真、議論、人の活動、地域社会へと次々に枝分かれしていく。まるで一つの引き出しを開けると、その奥からさらに別の引き出しが現れるようだ。


ここにヒルシュホーンの「編集」がある。
既に存在するものを集め、意外なもの同士を接続し、その関係そのものを作品にする。だから彼の作品は、雑然としているようでいて、実は「何と何が隣り合っているか」によって強く組み立てられている。

そして、その編集は美術館の内部だけに閉じない。哲学や政治を、日常の生活空間へ持ち込み、人が集まり、話し、考える状況そのものを作品に変えていく。
ヒルシュホーンにとって、世界は整理して減らすものではない。むしろ、すでに溢れているものを、溢れたまま関係づける。その「多すぎる世界」を受け止めるための形式が、彼の彫刻なのだ。


この感覚は、ヒップホップにも通じる。ア・トライヴ・コールド・クエストの『ウィ・ゴット・イット・フロム・ヒア…』を聴くと、Q-ティップの中に蓄積された膨大な音楽の「引き出し」が見えてくる。ジャズ、ファンク、ソウル、ロック、過去の自分たちの作品、若い世代のラッパーたち。それらを一つの音に溶かしてしまうのではなく、異なるものを並べ、組み合わせ、その関係から新しい音楽をつくっている。
ヒルシュホーンが物や情報の引き出しを増殖させるように、Q-ティップは音楽の引き出しを開いていく。どちらも、ゼロから新しいものを発明するというより、すでに世界にあるものをもう一度組み合わせることで、新しい関係をつくっている。

混ざることは、溶けることではない。違ったまま隣り合い、新しい関係をつくること。
創造とは、何もないところから新しいものを生み出すことだけではない。自分の中の引き出しを開き、異なるものを組み合わせ、その組み合わせ自体を新しい形式にすることでもある。


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