須田国太郎(1891–1961、日本)
揺らぐ世界――西洋の先に見つけた日本の眼差し
戦前から戦後にかけて制作を続けた須田国太郎は、日本近代洋画を代表する存在である。
京都帝国大学で哲学を学び、その後ヨーロッパへ渡って古典絵画を徹底的に研究した。美術団体の中心として後進を育て、その歩みだけを見れば、日本近代洋画の完成者ともいえる存在だった。
しかし、その絵画は完成へ向かうことよりも、世界が絶えず変化し続けることを描いている。
代表作《黒い犬》では、犬は重い身体を大地に預けながらも、その輪郭は光や空気の中で静かに揺れている。

《鵜》では、黒い羽根は光を吸い込みながら幾重にも重なり、一羽の鳥というより、生きる力そのものが画面に立ち現れてくる。

そして《夏の朝》では、木々や空気、光が互いに溶け合い、風景全体がゆっくりと呼吸しているかのようである。

須田は対象を正確に再現しようとはしなかった。生命が光を受け、空気に触れ、時間の中で絶えず姿を変えていく、その揺らぎを描こうとしたのである。輪郭は定まらず、色彩は重なり合い、物質は空間へと溶け込んでいく。画面には、世界が一つの形へ固定されることなく、生き続ける姿が静かに刻まれている。
西洋絵画を深く学んだ彼は、その様式を模倣することなく、自らの身体を通して描くことを選んだ。そのため彼の画面では、構造と感覚、写実と抽象、重さと軽さが絶えず行き交い、一つの答えへ収束することがない。そこには、西洋近代を十分に咀嚼した先で、日本の風土や身体感覚と結び付いた独自の絵画が生まれている。

その揺らぎは迷いではない。世界とは、見るたびに新しい姿を見せる存在であるという深い実感なのである。須田の筆致は対象を支配するのではなく、その変化に寄り添い、生命が世界と触れ合う瞬間を描き続けた。
戦後、日本美術は新しい前衛へ向かって大きく動き始める。しかし須田は、その流れに迎合することも、過去へと回帰することもなかった。ただ変わり続ける世界を、変わり続ける眼差しで見つめ続けたのである。

須田国太郎は、西洋と日本、構造と感覚、写実と生命を対立するものとして扱わなかった。それらは一枚の画面の中で絶えず揺れ動き、光や空気とともに新しい姿へ変わり続ける。その絵画は、世界とは固定されたものではなく、生命とともに絶えず生成し続けるものであることを、静かに教えてくれるのである。

カツカレーカルチャリズム画家列伝22 ~岡鹿之助、須田国太郎 編 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ
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