ジェイ-Z & カニエ・ウエスト『Watch the Throne』― 快楽を完成させる

音楽

ジェイ-Z(JAY-Z)と カニエ・ウエスト(Kanye West)の『ウォッチ・ザ・スローン(Watch the Throne)』を聴いていると、ある種の異様な「気持ちよさ」に気づく。

音が大きい。ビートが強い。サンプリングが細かい。コーラスが気持ちいい。R&B的なハーモニーがある。ラップには勢いがあり、フックは何度も戻ってくる。

重低音のカタルシス、ソウルの温かさ、ゴスペルの高揚、R&Bの歌心、サンプリングの快感、巨大な音像。

ヒップホップとR&Bがそれまでに獲得してきた「気持ちよさ」が、ほとんど全部入っている。

出典:Artpedia/ジェイ-Z & カニエ・ウエスト「ウォッチ・ザ・スローン」

しかも、それが最初から設計されている。

1曲目「No Church in the Wild」はフランク・オーシャンの声から始まり、そこへ重いビートが入ってくる。2曲目「Lift Off」ではビヨンセが歌い、いきなりポップ・ミュージックとしての開放感が広がる。

この並びだけでも、このアルバムが「難しい作品」になることを拒んでいるのがわかる。

親しみやすい。

大きい。

豪華である。

そして、気持ちいい。

出典:Artpedia/カニエ・ウエスト & ジェイ-Z

これは単純な商業性ではない。

むしろ、ポップであることそのものを、徹底的に設計している。

その象徴が4曲目の「Otis」だ。

タイトルの通り、ここでカニエが使うのはオーティス・レディングの「Try a Little Tenderness」。

しかし、カニエはソウルの名曲をそのまま借りてくるわけではない。

オーティスの歌声、ホーン、ドラム、演奏の断片を細かく切り出し、組み替え、ループさせる。

熱唱だったものが、ビートになる。

歌だったものが、リズムになる。

過去の音楽そのものが、現在の身体を動かす素材へと変換される。

出典:Artpedia/ジェイ-Z & カニエ・ウエスト

ここには、カニエのサンプリングに対する考え方がよく表れている。

サンプリングとは、昔の曲を引用することではない。

過去の音楽を、自分たちの現在の快楽へと加工することだ。

しかも「Otis」というタイトルをつけることで、その出自を隠そうともしない。

むしろ、

「この音楽の歴史も含めて、自分たちの作品だ」

と言っているように聞こえる。

『ウォッチ・ザ・スローン』全体も同じだ。

出典:Artpedia/カニエ・ウエスト & ジェイ-Z

ジェイ-Zのラップ、カニエのプロダクション、ソウル、ゴスペル、R&B、ファンク、オーケストレーション、電子音、巨大な低音。

それぞれを新しいものとして発明するのではなく、すでにヒップホップが持っているものを選び、加工し、組み合わせ、極端なところまで完成させる。

だから、このアルバムを聴いていても、「新しい音楽を発明している」という感じは意外に弱い。

むしろ、

「これまでのヒップホップが気持ちよくしてきたものを、全部知っている」

という感覚がある。

ここが、2011年という時代との関係で面白い。

出典:Artpedia/ジェイ-Z & カニエ・ウエスト

当時のヒップホップでは、南部の音楽が大きな勢力を持っていた。808、トラップ、オートチューン、スナップ、変則的なリズム。

新しい音楽を作ろうと思えば、そうした変化に正面から向き合う方法もあった。

しかしジェイ-Zとカニエは、そこへ真正面から飛び込んでいかない。

新しい表現を発明するより、自分たちがすでに持っている美学を、徹底的に磨く。

ここには、ある種の自信がある。

「俺たちは、新しいものを追いかけなくてもいい。」

「俺たちが持っているものだけで、ここまで巨大な作品を作れる。」

そんな態度である。

出典:Artpedia/ジェイ-Z & カニエ・ウエスト

だから『ウォッチ・ザ・スローン』は、流行に乗った作品というより、自分たちの美学を時代に打ち込んだ作品に聞こえる。

タイトルの「Throne」は、その意味で象徴的だ。

王座に座るために、誰より新しいものを発明する必要はない。

すでに存在する文化を、自分たちの手で最高の形に仕上げればいい。

ここには音楽だけでなく、ファッション、アート、ラグジュアリー、映像まで含めて自分たちの世界を設計する感覚がある。

作品をブランドにするというより、創造性そのものをブランドにする。

出典:Artpedia/ジェイ-Z & カニエ・ウエスト

ジェイ-Zとカニエが「何を作るか」だけではなく、「自分たちはどのような美学を持つクリエイターなのか」まで作品の一部にしているからだ。

だから、このアルバムには「工芸品」のような感触がある。

新しい素材を発明したというより、既存の素材を驚くほど精密に加工している。

音の配置。

サンプルの切り方。

声の重ね方。

コーラスの入り方。

ビートの落とし方。

そのすべてが細かく設計され、巨大な作品のなかに収まっている。

そして、ここには面白い逆説がある。

あまりにも完成させてしまうと、次の表現が難しくなる。

出典:Artpedia/カニエ・ウエスト & ジェイ-Z

ジェイ-Zとカニエが、ヒップホップとR&Bの「気持ちよさ」をここまで巨大なスケールで統合してしまえば、後から同じ方法を繰り返しても、その先には行きにくい。

だから、次の世代は別の場所を探すしかなくなる。

もっと不完全な音。

もっと個人的な音。

もっと歪んだ音。

もっとミニマルな音。

あるいは、そもそも「気持ちよさ」から離れた音。

優れた作品は、後続の作家に新しい方法を教えるだけではない。

「ここまでは、もう完成している」と境界線を引いてしまうことがある。

『ウォッチ・ザ・スローン』は、まさにそういう作品に見える。

それは新しい表現の始まりというより、ひとつの美学の完成形だ。

出典:Artpedia/カニエ・ウエスト & ジェイ-Z

そして、その完成度そのものが、次の創造性を要求する。

「これではないものを作らなければならない。」

そう考えさせるところまで含めて、このアルバムは強い。

美術でいえば、ポップアートが消費社会のイメージを徹底的に作品化し、その後の作家たちが「では、その先に何があるのか」と考えざるを得なくなった状況にも少し似ている。

新しさとは、いつも新しいものを発明することではない。

ときには、すでにあるものを、これ以上ないほど完成させることでもある。

そして、その完成があまりに強ければ、次の創造性はそこから逃げることによって始まる。

『ウォッチ・ザ・スローン』は、そんな意味での創造性の王座なのだと思う。

出典:Artpedia/ジェイ-Z & カニエ・ウエスト

ジェフ・クーンズ(1955–、アメリカ)― 完成度を作品にする

ジェフ・クーンズの作品を見ると、最初に驚くのは、その「きれいさ」かもしれない。

鏡のように輝くステンレス・スチール。完璧に磨かれた表面。巨大なサイズ。ポップで親しみやすい形。

バルーン・ドッグ、ウサギ、花、玩具。

どれも、もともとは特別なものではない。

子どものおもちゃだったり、街で売られている商品だったり、誰もが知っているようなイメージだったりする。

出典:Artpedia/ジェフ・クーンズ「ラビット」

それなのに、クーンズがそれらを作品にすると、突然、異様な存在感を持ちはじめる。

ここでクーンズがやっているのは、まったく新しい形を発明することではない。

すでに存在しているものを、これ以上ないほど完成させることだ。

たとえば《ラビット》は、一見すると単純なウサギ型のオブジェに見える。しかし、磨き上げられた金属の表面は周囲の光や観客を映し込み、玩具のような形が工業製品の精密さと高級品の輝きを持つ。

《バルーン・ドッグ》になると、その方法はさらに明快になる。

出典:Artpedia/ジェフ・クーンズ「バルーン・ドッグ」

風船でつくられた犬という、一時的で安価なもの。

それを巨大な彫刻にし、ステンレス・スチールで制作し、鏡面のように磨き上げる。

本来なら軽く、壊れやすく、すぐに消えてしまうものが、永続的で巨大なオブジェになる。

ここでは、素材そのものよりも、完成させることの力が作品をつくっている。

出典:Artpedia/ジェフ・クーンズ「バルーン・ドッグ」

クーンズは、芸術家が必ずしも「新しいものを考え出す人」でなくてもいいことを示した。

既にあるものを選ぶ。

その意味を読み替える。

サイズを変える。

素材を変える。

表面を徹底的に仕上げる。

そして、それを美術館やギャラリーという場所に置く。

出典:Artpedia/ジェフ・クーンズ「ダイアモンド」

すると、ありふれたものが別の価値を持ちはじめる。

このとき、クーンズの作品は「工芸品」のようにも見える。

ただし、ここでいう工芸は、手仕事の温かさという意味ではない。

むしろ逆だ。

表面に傷がないこと。

寸法が正確であること。

色が完璧であること。

光をどう反射するかまで計算されていること。

完成度そのものが、作品の内容になっている。

だからクーンズの作品には、独特のラグジュアリー感がある。

高級品とは、必ずしも新しいものではない。

出典:Artpedia/ジェフ・クーンズ「ダイアモンド&バルーン・ドッグ」

既に知っているものを、素材、技術、仕上げ、希少性によって、最高の状態まで引き上げたものでもある。

クーンズは、その構造を美術作品に持ち込んだ。

そして、ここから「市場」と「芸術」の関係も変わってくる。

クーンズは、作品が高価になることを恥じない。

むしろ、巨大な作品、完璧な仕上げ、豪華な素材、展示空間、広告やファッションとの接続まで含めて、作品が社会のなかでどのように存在するかを設計していく。

作品だけをつくるのではない。

作品がどのように見られ、欲望され、所有されるのかまで含めてデザインする。

ここが、クーンズを単なる「ポップな彫刻家」と違うものにしている。

出典:Artpedia/ジェフ・クーンズ「サクレ・ハート」

彼は、芸術作品の価値が作品の内部だけにあるとは考えていない。

それがどのようなイメージを持ち、どのような空間に置かれ、どのような人々に見られ、どのような欲望を生むのか。

そこまで含めて作品を成立させる。

その意味で、クーンズは一人の彫刻家というより、自分の美学そのものをブランドとして成立させたクリエイターに近い。

しかし、ここで面白いのは、ブランド化したから作品が空虚になるわけではないことだ。

むしろクーンズは、ポップ、消費、ラグジュアリー、子どもの記憶、広告、工業製品、芸術という、本来なら別々に存在しているものを、一つの作品のなかに同居させる。

出典:Artpedia/ジェフ・クーンズ「ジム・ビームーターナー・トレイン」

《セレブレーション》のシリーズに現れる巨大な風船、ケーキ、花などは、子どもの誕生日のような親しみやすさを持ちながら、同時に高級品のような輝きを持つ。

安っぽいものと高価なもの。

大衆的なものと美術館的なもの。

消費と芸術。

その境界を、クーンズはあえて混ぜてしまう。

出典:Artpedia/ジェフ・クーンズ「ケーキ」

だから彼の作品は、ポップアートの後継者でありながら、ウォーホルとは少し違う。

ウォーホルが大量生産されるイメージを反復することで、消費社会そのものを画面に持ち込んだとすれば、クーンズはそこからさらに進んで、そのイメージを最高級品のように仕上げてしまう。

消費社会を批判するのではない。

消費社会が生み出した欲望を、そのまま巨大な美術作品に変換する。

ここには、現代における「創造性」の一つの変化がある。

新しいものを発明することだけが創造ではない。

すでに存在するものを見つけ、それを組み替え、異常な完成度まで引き上げることも創造になる。

そして、完成度が高ければ高いほど、それは単なる引用ではなく、自分自身のスタイルになっていく。

出典:Artpedia/ジェフ・クーンズ「マイケル・ジャクソン&バブルス」

クーンズの作品を見れば、誰がつくったのかがすぐにわかる。

鏡面。

巨大さ。

ポップな形。

完璧な表面。

祝祭的な色彩。

既視感のあるものを、異常なほど高級にする感覚。

それらが組み合わさることで、個々の作品を超えて「クーンズ」という世界が成立している。

これは、作品をブランドにしたというより、創造性そのものをブランドにしたということなのかもしれない。

新しいものを次々に発明し続けなくてもいい。

自分が何を選び、どう仕上げ、どのレベルまで完成させるのか。

その判断そのものが、作品になる。

出典:Artpedia/ジェフ・クーンズ「パピ」

だからクーンズの作品は、奇妙なほど自信に満ちている。

「これが新しい」と叫んでいるわけではない。

むしろ、

「これで十分だ。いや、これ以上ない」

と言っているように見える。

新しさを競うのではなく、完成度を競う。

その完成度によって、既に存在していたものを王座に押し上げる。

クーンズがつくっているのは、単なるオブジェではない。 価値が生まれる瞬間そのものを、完成品として見せる作品なのだ。

出典:Artpedia/ジェフ・クーンズ「ハンギング・ハート」

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