サイ・トゥオンブリー(1928–2011、アメリカ)
線は考える前に生まれる ─ 文化と身体が再び混ざる絵画
サイ・トゥオンブリーの絵画を初めて見ると、多くの人は戸惑う。
画面には走り書きのような線があり、判読できない文字があり、子どもの落書きのようにも見える。

整った構図も、抽象表現主義のような英雄的な身振りも見当たらない。
「なぜ、このような作品が高く評価されたのか。」
そう感じる人は少なくないだろう。

しかし、その違和感こそが、トゥオンブリーという画家の出発点だった。
彼の線には、絵を上手く見せようとする作為がほとんど感じられない。
美しい曲線を描こうともしていない。
力強い筆致を誇示しようともしていない。

線は、何かを表現するための手段というよりも、手が動いた結果として自然に現れた痕跡のように見える。
そのため画面には、不思議な生々しさがある。
完成された形ではなく、形になろうとする運動そのものが残されているのである。

ジョアン・ミッチェルが身体の生理的なリズムを画面へ定着させたのだとすれば、トゥオンブリーはさらにその手前、線が生まれる瞬間そのものへ関心を向けた。
そこでは「描くこと」と「書くこと」の境界も曖昧になる。
文字は読めず、線は意味を持たず、それでも画面全体には確かなリズムが流れている。

彼はアメリカに生まれながら、若くしてイタリアへ移り住み、古代ギリシアやローマの文化、神話、詩、歴史に深く親しんだ。
そのため作品には、アポロンやヴィーナス、オルフェウスといった神話の名前がしばしば現れる。
しかし、彼が神話を描いたわけではない。
古典文化を説明したわけでもない。
神話や文学は、一つの物語としてではなく、身体の奥に沈殿した文化の記憶として画面へ現れてくるのである。

抽象表現主義が「絵画とは何か」という問いを純粋な形式へ向けたのだとすれば、トゥオンブリーはその純粋性のなかへ、再び歴史や言葉、文化を静かに呼び戻した。
ただし、それは物語を描くためではない。
文化そのものが、身体の運動となって線へ変わっていく過程を描こうとしたのである。

この姿勢は、後にヨーロッパ美術が重視する「文脈」や「文化的記憶」を先取りしていたともいえる。
とりわけイタリアでは、作品を歴史や文学と結び付けながら読み解く批評文化が根強く存在し、後のアルテ・ポーヴェラやトランスアヴァンギャルディアにも、そうした土壌を見ることができる。
トゥオンブリーは、そのような文化的感覚とアメリカ抽象絵画を結び付けた、最初の重要な画家の一人だった。

晩年になると、画面はさらに自由になる。
花を思わせる巨大な色彩。
渦巻く線。
流れ落ちる絵具。
そこには初期作品と同じように、計画された構成はほとんど感じられない。
しかし、その自由さは偶然ではない。
初期から一貫していた「線の生成」が、今度は色彩そのものの生成へと広がっていったのである。

だから彼の作品は、初期も晩年も本質的には変わらない。
描いている対象が変わったのではない。
世界が生まれる瞬間を、そのまま画面へ受け止めようとする態度が、一貫してそこにある。
抽象表現主義が到達した純粋性のあと、絵画は再び世界と混ざり始める。
文字。
神話。
文学。
記憶。
文化。

しかしトゥオンブリーは、それらを説明することなく、すべてを一本の線のなかへと溶かしていった。
その線は、何かを伝えるための記号ではない。
文化を引用するための線でもない。
身体に沈み込んだ記憶や、まだ言葉になっていない感覚が、手の動きとして立ち上がる。その瞬間が、そのまま画面に残されているのである。

だからトゥオンブリーの絵画では、文化は「描かれるもの」ではなく、「描く身体のなかで動き出すもの」になる。
絵画は、世界を表現するためのものでも、世界から自立するためのものでもない。
世界が身体を通り抜け、線として現れる。 トゥオンブリーが残したのは、その最初の痕跡なのである。

カツカレーカルチャリズム画家列伝34 ~サイ・トゥオンブリー 編 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ

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