ウィレム・デ・クーニング(1904–1997、オランダ/アメリカ)
描くことは、壊すことでもある ― 終わることのない生成
ウィレム・デ・クーニングは、抽象表現主義のなかでも、最も「描く」という行為そのものを問い続けた画家である。
オランダで美術教育を受けた彼は、若い頃から卓越したデッサン力を身につけていた。初期の人物画には、細い線と繊細な色面が緊張感を保ちながら重なり合い、静かな画面のなかに鋭い観察力が宿っている。


その絵画は、後年の激しい筆致からは想像できないほど抑制され、どこか神経質な美しささえ漂わせている。
しかしアメリカへ渡ると、彼の絵画は大きく変化していく。

ニューヨークという新しい都市、大きなキャンバス、惜しみなく使える絵具、そして抽象表現主義の熱気。その物質的な環境は、デ・クーニングの身体を次第に解放していった。

それでも彼は、ポロックのように構図を放棄することはなかった。
人物を描き、消し、また描き直す。
塗り重ね、削り取り、再び加える。
画面は完成へ向かうのではなく、生成し続ける場となる。
代表作《女(Woman)》シリーズでは、女性像は激しい筆触のなかから何度も現れては崩れ、再び姿を現す。抽象なのか具象なのか、その境界は絶えず揺れ動く。しかし、その揺らぎこそが彼の絵画だった。

デ・クーニングは、「抽象か具象か」という対立そのものを無意味にしたのである。
彼にとって絵画とは、答えを示すものではない。描くことと壊すことを往復しながら、画面のなかで認識そのものが更新されていく過程だった。

そのため彼の作品には、完成された静けさはない。あるのは、絵画がまだ生まれ続けているという感覚である。筆跡は何かを表現する記号ではなく、画家が迷い、考え、修正し続けた時間そのものなのである。


晩年になると、その激しい画面は再び軽やかさを取り戻していく。流れるような線と透明感のある色彩は、初期作品の繊細さとも響き合い、一つの循環を描くように新しい抽象へと向かった。

デ・クーニングが残したものは、一つの様式ではない。絵画は完成によって生きるのではなく、生成し続けることによって生きるという考え方だった。彼の画面は、一枚の完成品ではなく、「描く」という行為そのものが絶えず続いている時間なのである。

カツカレーカルチャリズム画家列伝33 ~ウィレム・デ・クーニング 編 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ

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