ジャック・ブッシュ(1909–1977、カナダ)
ちゃらんぽらんな幾何学
ジャック・ブッシュの絵を見ていると、少し笑ってしまう。
幾何学的な形がある。
縦線。
横線。
矩形。
帯。
色面。
一見すると、かなり真面目な抽象絵画だ。

ところが、どうも真面目すぎない。
線はきっちりしているようで、どこかふわっとしている。
形は幾何学的なのに、配置が妙にのんびりしている。
「そこに置くんだ?」
と思うような色や形が、平気な顔をして画面に入ってくる。

ちゃらんぽらんな幾何学構成。
それがブッシュの面白さだと思う。
ニューマンの巨大な縦線を思わせる構成があっても、画面を切り裂くような緊張感にはならない。
モンドリアンのような縦横の分割があっても、厳密な均衡には向かわない。
線はずれる。
色面は偏る。
左右対称でもない。
でも、それでいい。

そこへロスコのような大きな色面まで入ってくる。
そして、その色面はマティスのように軽やかだ。
色と形が、重たい絵画史を背負うのではなく、紙を切って貼ったように浮かんでいる。
つまりブッシュの画面には、いろいろな抽象絵画の要素が入っている。
でも、それらが「正しく引用されている」という感じがしない。
むしろ、少しずつずらされている。
ニューマンを緩くして、モンドリアンをトッピングし、ロスコを少しふりかけ、最後にマティスの軽さを加えたようなところがある。

もちろん、実際にそんな料理をしたわけではない。
でも、そう見えてしまうくらい、いろいろなものが深刻にならずに同居している。
ここが、アメリカのカラーフィールドとは少し違うところでもある。
アメリカの抽象絵画には、しばしば「絵画とは何か」という大きな問いがあった。
色とは何か。
平面とは何か。
絵画はどこまで純粋になれるのか。
ブッシュの絵にも、もちろんそうした問題意識はある。
ただ、それをあまり深刻にしない。

色は色。
形は形。
線は線。
それらが画面のなかで、少しずつ位置を変えながら、楽しそうに共存している。
だから、彼の幾何学は「構造」というより、身振りに近い。
ここにはマティスとの近さもある。
マティスは晩年、切り紙によって、形を描くのではなく切り出すことで、色と形を一体化させた。

ブッシュの形にも、どこかそれに似た軽さがある。
形が画面を厳密に構築するというより、色のかたまりが画面に置かれている。
それでも画面は崩れない。
むしろ、少し崩れているから生きている。

カラーフィールドが「純粋な色」を追いかけるなかで、ブッシュはその純粋性を少しだけ台無しにする。
色に形を与える。
形をずらす。
線を遊ばせる。
そして、幾何学のなかに風通しをつくる。
それは、ズーバスのように形を風景や生き物へ戻していく方向とは違う。
ズーバスでは、色の重なりから空間が発生し、そこに風景のような感覚が戻ってきた。

ブッシュの場合、世界へ戻るというより、絵画そのものが少し肩の力を抜いていく。
純粋性は残っている。
でも、禁欲的ではない。
幾何学は残っている。
でも、几帳面ではない。
色は大きい。
でも、威張っていない。
カラーフィールドが「色を極限まで純粋にする」方向へ進んだとき、ブッシュはその純粋性に、少しだけ遊びと余白を入れた。
彼は皿に、ニューマンとモンドリアンとロスコをざっくり盛って、マティスのソースをふわっとかけたのだ。


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