混ぜすぎた美術史 109 ~ラリー・プーンズ

アート

ラリー・プーンズ(1937–2025、アメリカ)

色が、物質になってしまう

これ、いったい絵の具を何キロ使っているんだ?

ラリー・プーンズの後期の絵を見ると、まずそんなことを考えてしまう。

画面には絵の具が盛り上がり、垂れ、絡まり、固まり、ひび割れている。色はもう平らな面に置かれていない。厚みを持ち、重さを持ち、ところによっては画面からこちら側へ飛び出してくる。

出典:Artpedia/ラリー・プーンズ「恐怖の雨」

絵というより、何かを大量に盛りつけたものに近い。

しかも、その盛り方がすごい。

「これも入れてしまえ。まだいける。じゃあ、もう一色。もっと厚く。そこにも流してしまえ」

そんな勢いすら感じる。

パフェにトッピングを次々と載せていって、最後にはアイスクリームも果物もソースもクリームも、何が何だかわからなくなっている。でも、その「盛りすぎ」そのものが妙にうれしい。

出典:Artpedia/ラリー・プーンズ「デンジャラスB」

プーンズの後期絵画には、そんな爆盛りの感覚がある。

もちろん、最初からこうだったわけではない。

1960年代のプーンズは、円や楕円、ドットを規則的に配置する絵画で知られていた。数学的なシステムによって色と点を組み合わせ、画面から画家の手の痕跡をできるだけ消していく。点と点の間隔や密度によって、画面全体が揺れて見えるような、非常に精密な絵画だった。

出典:Artpedia/ラリー・プーンズ「トリスタン・ダ・クンガ」

ところが、1960年代後半から70年代にかけて、その秩序が大きく変わる。

プーンズは絵の具を注ぎ、流し、滴らせ、投げるようになる。

しかも、筆で描くのではない。重力や絵の具そのものの流れを利用する。絵の具をキャンバスに投げつければ、どこから始まり、どこで交差し、どこまで流れるかは完全には予測できない。画家が決めるのは、絵の具の量、色、投げる方向や勢いなどであり、その先では重力と乾燥が仕事を始める。

ここで面白いことが起こる。

初期のドットでは、色は「配置されるもの」だった。

出典:Artpedia/ラリー・プーンズ「ブラウン・サウンド」

しかし後期になると、色は「動くもの」になる。

そしてさらに進むと、色は「積もるもの」になる。

流れた絵の具が乾く。

その上にまた絵の具を置く。

厚くなる。

ひびが入る。

そのひびを別の色が覆う。

さらにその上に別の層ができる。

そうして画面は、色彩の集合から、まるで地層のような物質へ変わっていく。

出典:Artpedia/ラリー・プーンズ「タントラム2」

「色の絵画」だったはずなのに、いつの間にか「色でできた物体」になっている。

この変化はかなり大胆だ。

カラーフィールドの絵画では、色はしばしば画面を広げるために使われた。ルイスは色を染み込ませ、オリツキーは色を薄く漂わせ、ノーランドは色を規則的に配置した。

プーンズは、そこから逆方向へ行った。

色を画面の奥へ消すのではなく、画面の上に積んだ。

色を軽くするのではなく、重くした。

色を純粋な視覚現象にするのではなく、絵の具という物質に戻した。

出典:Artpedia/ラリー・プーンズ「ピンク・フライデー・ボーダータウン」

しかも、そこで終わらない。

1970年代後半には、絵の具だけでなく、フォーム、ゴム、ロープ、タイプライター用紙などまでキャンバスに取り付けている。絵画はますます厚くなり、重くなり、壁から前へせり出していく。批評家マイケル・フリードが「エレファント・スキン」と呼んだのも、この異様な厚みと表面のためだった。

ここまで来ると、もう「絵画空間」という言葉そのものが怪しくなってくる。

出典:Artpedia/ラリー・プーンズ「絞首の男」

普通の絵では、画面の中に奥行きがある。

プーンズの絵では、奥行きより先に、物質がある。

絵の具が垂れる。

固まる。

ひび割れる。

別の色を押しのける。

重なった層が表面を持ち上げる。

つまり、画面の中で小さな物理現象が起きている。

出典:Artpedia/ラリー・プーンズ「孤独なパトロール」

画家がすべてをコントロールしているというより、途中から絵の具そのものが勝手に仕事を始めるのだ。

だから、プーンズの絵を見ると「どう描いたのか」だけでなく、「これはいったい何が起きた跡なのか」と考えてしまう。

しかも、それだけの物質を画面に載せる。

いったいどれだけの絵の具を用意したのだろう。

どれだけの時間をかけて乾かしたのだろう。

どれほど重くなったのだろう。

出典:Artpedia/ラリー・プーンズ「マイル・トゥ・グラムパーソンズ」

そう考え始めると、作品は急に「絵」から「出来事」に変わって見えてくる。

これは、初期のドットとは正反対のようでいて、実は同じ問題を引き継いでいる。

初期のプーンズは、点の間隔や色の組み合わせによって、画面全体を揺らした。

後期のプーンズは、絵の具そのものを動かした。

つまり、彼がずっとやっていたのは、画面を静止させないことだったのかもしれない。

最初は点が動いた。

次に絵の具が動いた。

最後には、絵の具の重さや乾燥や堆積までが動き始めた。

出典:Artpedia/ラリー・プーンズ「スペイン・ダンサー」

リズムが消えたのではない。

リズムが物質になったのである。

そしてプーンズは、その物質を遠慮なく盛った。

ルイスが色を染み込ませた。

ノーランドが色を並べた。

オリツキーが色を漂わせた。

そしてプーンズは、色を流し、投げ、積み、固めた。

出典:Artpedia/ラリー・プーンズ「トライ・チョルダル」

純粋な色を追いかけていたはずの絵画に、重さと厚みと偶然と時間を、これでもかとトッピングしていく。

それはもう、きれいに盛り付けられたパフェではない。

「おりゃー!」と最後の一盛りまで載せてしまった、巨大なパフェだ。 そして面白いのは、その「盛りすぎ」が単なる装飾ではなく、絵画そのものを物理現象に変えてしまったことである。

出典:Artpedia/ラリー・プーンズ「ラ・ファミリア」

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