モーリス・ルイス(1912–1962、アメリカ)
誰にも見せずに、色をつくる
モーリス・ルイスは、かなり変わった画家だった。
自宅の一室をスタジオにして、そこで一人で絵をつくった。
しかも、制作中の姿をほとんど誰にも見せなかった。
妻と同じ家に暮らしていても、彼女は何を描いているのかを尋ねなかった。友人や弟子にも、制作についてほとんど語らない。

描き終えると、絵を乾かし、巻き取り、スタジオを片づける。
まるで、何も起こらなかったかのように。
しかし、これは「発表する気がなかった」ということではない。
ルイスは1950年代半ばから展覧会に参加し、個展を開き、作品を販売している。彼の作品を外の世界へ紹介したのが、批評家クレメント・グリーンバーグだった。
つまりルイスは、作品を社会から隠していたのではない。
制作だけを、社会から切り離していた。
1953年、ヘレン・フランケンサーラーの《山と海》を見たルイスは、薄めた絵具をキャンバスに染み込ませる方法に強く刺激を受けた。

そこから彼は、筆で絵具を塗るという従来の絵画からさらに離れていく。
薄くした絵具を流す。
キャンバスに染み込ませる。
色と布地を一体化させる。
すると、絵具は「塗られたもの」ではなくなる。
色そのものが、画面になる。

ここでは、画家の手つきさえ希薄になる。
抽象表現主義のように身体が画面を占領するのではなく、画家は一歩後ろへ退いていく。
残るのは、染み込んだ色と、その色がつくり出す空間だ。

それは、誰かが「色を描いた」というより、
色が、そこに生まれてしまった。
そんな感じに近い。
しかもルイスは、制作した作品をすべて残そうとしたわけでもない。

1955年から57年にかけて制作した作品の多くを、彼自身が破棄している。
作品をつくることと、作品を残すこと。
作品を残すことと、作品を売ること。
その三つを、彼は同じものとして考えていなかったのだろう。
だからこそ、ルイスの絵には不思議な純度がある。
これは「見せるための絵」から生まれた純度ではない。

一人になったとき、絵画そのものと向き合うための純度だ。
色を残して、画家を消す。
筆触を消して、絵具を残す。
物語を消して、光を残す。
カラーフィールド・ペインティングが色を巨大化させていったとすれば、ルイスはその色から、画家の存在まで少しずつ引いていった。

誰にも見せない部屋でつくられた色が、最後には見る人の身体いっぱいに広がっていく。
一人でつくった色が、世界に開いていく。
それがモーリス・ルイスという画家だった。
彼は皿に、色と光を、絵具そのものが溶けて広がったデザートのように盛ったのだ。


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