レメディオス・バロ(1908–1963、スペイン/メキシコ)
動き続ける部屋 ― 科学と魔術のあいだ
レメディオス・バロの絵画には、不思議な静けさがある。
そこでは奇妙な出来事が次々に起きている。

人が星を紡ぐ。
鳥が音楽を作る。
機械が夢を見る。
建物そのものが生きているように動き出す。
しかし画面は決して混乱しない。
むしろすべてが当然の出来事であるかのように整然と存在している。

バロはスペインに生まれ、内戦と第二次世界大戦による亡命を経てメキシコへ渡った。故郷を離れ続けた彼女の人生は、常に移動と変化に満ちていた。
そのためだろうか。
彼女の作品には「定住する世界」よりも、「移動し続ける世界」が多く描かれる。
たとえば《鳥の創造》では、鳥の姿をした存在が天体の光を集め、機械を用いて鳥を生み出している。そこでは芸術と科学、錬金術と天文学、創造と発明が区別されていない。

また《オリノコ川の源流の探検》では、探検家は未知の川の源流を探している。しかしその旅は地理学的探検であると同時に、精神世界への旅でもある。

バロの世界では、外部の風景と内部の意識が絶えず重なり合っている。
その感覚はシュルレアリスムに由来しているが、ダリやエルンストとは少し異なる。
彼らが夢や無意識の衝撃を描いたのに対し、バロは夢の世界そのものを生活空間として構築している。
彼女の作品に登場する人物たちは驚かない。
奇跡は日常であり、魔術は技術であり、機械は生き物のように振る舞う。
そこには科学と神秘主義が対立するという発想が存在しない。
両者はひとつの世界の異なる側面として共存しているのである。

この感覚は、20世紀中頃に広がった合理主義への疑問とも重なっている。戦争と亡命を経験した時代において、世界はもはや単純な進歩によって説明できるものではなかった。
だからこそバロは、科学、神秘思想、文学、旅、夢といった異なる知識体系をひとつの画面の中で接続していった。
カツカレーカルチャリズムの視点で見れば、彼女は皿の上に「研究室」と「錬金術工房」、「探検記」と「神話」、「機械」と「魔法」を同時に盛りつけた画家だった。
それらは互いに矛盾することなく共存している。
バロの絵画とは、異なる世界が衝突する場所ではなく、異なる世界が静かに同居するための部屋だったのである。

カツカレーカルチャリズム画家列伝28 ~レメディオス・バロ 編 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ

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