ズジスワフ・ベクシンスキ(1929–2005、ポーランド)
世界のあとに残るヴィジョン
ベクシンスキの絵を見ると、まず「何かが起きてしまった世界」という感じがする。
巨大な建物が崩れ、乾いた大地がどこまでも続いている。
そこには人間のようで人間ではないものが立っている。骨のような身体、皮膚の剥がれたような顔、布をまとった死者のような姿。

怪物にも見える。
エイリアンにも見える。
あるいは、文明が終わったあとに残された人間にも見える。
しかし、どれもはっきりとは分からない。

ベクシンスキは作品に具体的な物語や意味を固定することを避けた。だから、この世界を単純に「戦争の絵」と呼ぶこともできない。
ただ、1929年にポーランドのサノクに生まれ、少年期から青年期を第二次世界大戦とその直後の時代に過ごしたことは重要だ。
戦後には建築を学び、写真、彫刻、レリーフ、抽象絵画などを経て、やがて独自の幻想的な絵画へ進んでいった。
現実を組み替える
ベクシンスキは、最初から怪物を描いていたわけではない。

1950年代には写真を制作し、身体や顔、街、壁などを撮影した。
さらにフォトモンタージュでは、もともと関係のない写真を組み合わせ、現実には存在しない光景をつくっている。
この方法は、後の絵画にもつながっている。
ベクシンスキは世界をそのまま描くというより、世界にある断片を組み替える。
建物と骨。
身体と布。
地面と雲。
生物と建築。
本来なら別々に存在するものが、ひとつの画面の中でつながってしまう。

だから、彼の怪物は完全な空想生物には見えない。
人間の身体、動物の骨、衣服、岩、建物など、現実にあるものが少しずつ変形し、別のものになっている。
戦争のあとに残った世界
ここで、彼の世代が経験した戦争を考えることができる。
戦争によって壊されるのは、建物だけではない。

昨日まで普通だった街が、突然、意味の分からない風景になる。
人間の身体が身体ではなくなる。
家が家ではなくなる。
地面が安全な場所ではなくなる。
ベクシンスキは戦争そのものを描かない。
戦車も兵士も、歴史的な出来事を示す記号もほとんど登場しない。

代わりに現れるのは、戦争が終わったあとに残っているような世界だ。
焦土のような大地。
巨大な廃墟。
崩れかけた建物。
骨のような人物。
何かが生き残っているのか、それともすでに死んでいるのか分からない空間。
だから、彼の絵には「未来」の感じもある。

しかし、それは科学技術によって豊かになった未来ではない。
文明のあとに残った未来である。
宇宙船のように見える建物が、同時に墓にも見える。
エイリアンのような生物が、同時に死者にも見える。
未来と過去、生物と死体、文明と廃墟が、同じ場所に存在している。
神話のない怪物

この点で、ベクシンスキはウィーン幻想派の画家たちとも少し違う。
フックスには聖書や神話がある。
ブラウアーにはヨーロッパの伝承や異なる土地の記憶がある。
ハウズナーには古典的な遠近法や神秘的な世界観がある。
彼らの幻想には、ある程度、共有された文化の記憶が入り込んでいる。
ベクシンスキには、それがほとんどない。

怪物が出てきても、それがギリシャ神話の怪物なのか、聖書の怪物なのか分からない。
骸骨が出てきても、死神という名前がつくわけではない。
巨大な建物があっても、それがどの文明なのか分からない。
神話が存在する前のような世界なのである。

だから彼の絵は、ホラーにもSFにも見える。
しかし、ホラー映画の一場面でもなければ、SF小説の挿絵でもない。
それらに共通する「未知のものへの恐怖」だけが、物語から切り離されて残っている。
個人の中で発生する世界
ベクシンスキの生活は、次第にかなり閉じたものになっていった。
1958年には息子トマシュが生まれ、1977年には家族とともにワルシャワへ移住する。
小さなアトリエで制作を続けながら、外の世界から距離を取り、自分の中にあるイメージをひたすら画面へ移していった。

ただし、家庭環境が彼の幻想を生んだ、と単純に考える必要はない。
むしろ興味深いのは、生活空間が小さくなる一方で、絵の中の世界が巨大になっていったことだ。
普通なら、閉じた生活は世界を狭くする。
ベクシンスキの場合は逆だった。
小さな部屋から、名前のない都市が生まれる。

名前のない生物が生まれる。
名前のない文明の跡が生まれる。
そこには決まった神話も、決まった物語もない。
あるのは、現実の断片を組み替えることで突然発生した、ひとつの巨大なヴィジョンだけだ。
この意味でベクシンスキは、幻想を「別世界を描くこと」から、自分の内部で世界そのものを発生させることへ変えてしまった。
ハウズナーが見えない空間を開き、フッターが終末のような未来を浮かべ、ブラウアーが世界を増殖させ、レームデンが地面に時間を積み重ねたあとで、ベクシンスキではさらに一歩進む。

世界そのものが、一度壊れてしまう。
そこから何かが生まれるのか。
あるいは、もう何も生まれないのか。
その判断さえ、絵の中では保留されている。
ベクシンスキの絵が怖いのは、怪物が怖いからだけではない。
私たちが知っている「世界」というものが、いつの間にか崩れてしまっているからだ。
彼は皿に、戦争のあとに残った現実と、個人の内部から発生した異形のヴィジョンを、世界の廃墟というルーで煮込んだのだ。

カツカレーカルチャリズム画家列伝36 ~ズジスワフ・ベクシンスキ 編 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ

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