抽象表現主義は、絵画に多くのものを詰め込んだ。
色、身体、精神、偶然、時間。
それは、芸術家の身体そのものを、作品を生み出す装置にしたともいえる。ポロックの《ナンバー1A, 1948》では、身体の動きが画面全体に痕跡として残り、絵画は身体の延長として成立した。

しかし、その豊かさへの反動として、1960年代の美術は、そこに含まれていたものを次々と取り出し始める。
ミニマル・アートは、形と物体と空間を取り出した。ジャッドの《アンタイトルド(スタック)》では、箱の反復によって「形態そのもの」が抽出され、作家の感情や身体性は極限まで退けられる。

コンセプチュアル・アートは、作品から物質を取り除き、アイデアや言語を取り出した。コスースの《一つと三つの椅子》では、椅子という物体、写真、辞書的定義が並べられ、作品は物そのものではなく、物と概念の関係を考える装置になる。

美術は、いわば巨大な総合栄養食をいったん分解し、それぞれの栄養成分を抽出し始めたのである。
ところが、その動きはアメリカだけでは終わらなかった。
イタリアのアルテ・ポーヴェラは、工業製品のような完成された物から離れ、土、石、木、布、鉄、植物などの「貧しい」物質へ向かった。アンセルモの《ねじれ(Torsione)》では、布をねじるという単純な行為が、そのまま物質の状態として残り、身体と素材の関係が直接的に現れる。

マリオ・メルツも、石、鉄、ガラス、木など異なる素材を組み合わせながら、イグルーのような原初的な構造を繰り返しつくった。そこでは作品は、完成された工業製品というより、自然、身体、住居、生命といった基本的な関係を組み直す場となる。

アルテ・ポーヴェラが問い直したのは、単に「何を材料にするか」という問題ではない。
工業社会のなかで、すでに価値や用途を与えられた物ではなく、土や石、木のような物質に直接触れることで、芸術をもう一度、世界との具体的な関係へ戻そうとしたのである。
フランスのシュポール/シュルファスもまた、完成された作品から出発しなかった。
彼らは絵画を一枚の完成された画面として扱うことをやめ、キャンバス、支持体、色、構造といった構成要素へと分解した。
クロード・ヴィアラは、キャンバスを支持体から外し、切断したり、折ったり、染めたりすることで、絵画を成立させている条件そのものを露出させた。
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ダニエル・ドゥズーズも、キャンバスを切断したり、折り畳んだり、ずらしたりすることで、絵画が本当に必要としているものは何なのかを問い直した。

ここで重要なのは、単に「絵を壊す」ことではない。
絵画には、四角い画面があり、支持体があり、額縁があり、壁に掛けられ、正面から鑑賞されるという長い制度と習慣がある。
シュポール/シュルファスは、その当たり前を一つずつ外していく。
キャンバスは本当に四角くなければならないのか。
支持体は隠されていなければならないのか。
絵具は画面の内側に収まっていなければならないのか。
絵画を成立させている条件そのものを露出させることで、彼らは「絵画とは何か」を、完成された画面ではなく、その構造から考え直した。
アルテ・ポーヴェラが、物質を「作品になる以前の状態」へ近づけたとすれば、シュポール/シュルファスは、絵画を「作品になる以前の構造」へ戻したのである。
そして日本では、もの派が現れる。

石、木、鉄、ガラスなどを大きく加工せずに置き、物と物、物と空間、物と身体の関係そのものを露出させた。
関根伸夫の《位相—大地》では、地面を円筒形に掘り、その土を隣に積む。掘ることと積むことによって生まれた二つの空間が、互いを反転させるように向き合う。

ここでは、土が彫刻の材料になったというより、土地そのものが作品の構造になっている。
もの派が見つめたのは、「物」そのものだけではない。
石と鉄のあいだ。
物と地面のあいだ。
身体と空間のあいだ。
つまり、もの派にとって作品とは、物を加工して新しい形をつくることではなく、すでにそこにある物と物との関係を見えるようにすることだった。
こうして、作品に対する考え方そのものが変わっていく。
「何を作ったのか」よりも、「何をしたのか」。
石を置く。
鉄を立てる。
土を掘る。
キャンバスを外す。
場所を測る。
歩く。
線を残す。
こうした行為は、完成された作品をつくるというより、場所に小さな変化を起こす。
日本でも1960〜70年代には、アトリエの外へ出て土地を調査し、棒を立てたり、石を置いたり、歩いたりするフィールドワーク的な実践が現れた。
イギリスのリチャード・ロングも、歩くことそのものを制作へと変えた。《歩いてできた線(A Line Made by Walking)》では、草地を歩いたことで生じた一本の線が作品になる。

その線は、彫刻でも絵画でもない。
歩くという行為が、場所に一時的な痕跡として現れたものだ。
石を並べれば、円が生まれる。
しかし、その円は必ずしも「彫刻」として完成する必要はない。
歩くこと。
拾うこと。
置くこと。
場所を見ること。
そこで身体を動かしたこと。
そうした行為と場所との関係そのものが、作品になっていく。
ロングや日本のフィールドワーク的な実践を、直接的な影響関係で結ぶ必要はない。イギリスのストーンヘンジや日本の環状列石を、彼らが意図的に引用したとも限らない。


それでも、そこには奇妙な共鳴がある。
石を彫刻にするのではなく、石を置く。
場所を描くのではなく、場所そのものに働きかける。
巨大な記念碑をつくるのではなく、身体の行為によって空間に関係を生む。

ここでは、近代美術が長く信じてきた「芸術家が作品を制作する」というモデルが、少しずつ揺らいでいる。
あえて言えば、ポイエーシスからプラクシスへ。
何かを完成させることから、場所のなかで行為することへ。
主体が消えたわけではない。
むしろ、主体の役割が変わったのである。
「私はこれを作った」という作者から、「私はここでこう働きかけた」という実践者へ。
抽象表現主義が身体を絵画のなかへ持ち込んだとすれば、その後の美術は、身体を絵画の外へ連れ出した。
そして、作品を置くための空間ではなく、空間そのものを作品の条件にしていった。
美術は痩せたのではない。
別の栄養素を取り出し始めたのである。
物質。
場所。
身体。
関係。
行為。
歩行。
時間。 「作品」という完成品から離れることで、世界そのものが制作の場になっていった。

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