アルケミストとオーノー『Gutter Water』─ どぶで煮込まれる文化

音楽

アルケミストとオーノーによる『ガター・ウォーター(Gutter Water)』を初めて聴いたとき、私は少し戸惑った。

決して整理された音楽ではない。むしろ、ごちゃごちゃしている。

あのビート、このサンプル、この空気。

次々と異なる表情が現れ、一つの様式へきれいに収まろうとはしない。

しかし何度も聴いているうちに、その雑然とした印象が少しずつ変わっていく。

これは未完成なのではない。文化そのものが、まだ鍋の中で煮込まれている音なのだ。

出典:Artpedia/アルケミスト+オーノー「ガター・ウォーター」

『Gutter Water』というタイトルは、「どぶの水」とも訳せる。

一見すると挑発的で、汚れたイメージばかりが先に立つ。

しかし、どぶとは様々なものが流れ込み、混ざり合う場所でもある。

異なる水が出会い、濁り、沈殿し、新しい流れをつくる。

このアルバムもまた、そのような場所だった。

耳を澄ませると、その鍋には実に多くの具材が放り込まれていることに気づく。

出典:Artpedia/アルケミスト+オーノー

DJプレミアが築いた硬質なサンプリング。

ウータン・クランが生み出した湿った空気と映画的な闇。

モブ・ディープの張りつめた緊張感。

ピート・ロックの滑らかなソウルネス。

ファンクの粘り。

ジャズの濁った和音。

古いソウル。

ライブラリー・ミュージック。

B級映画のサウンドトラック。

イタリア映画や犯罪映画が持つ乾いた空気。

さらに、西海岸の自由な感覚や、膨大なレコード・カルチャーへの偏愛までもが、一つの鍋の中でぐつぐつと煮込まれている。

出典:Artpedia/アルケミスト+オーノー

そして、その鍋を囲んでいるもう一人がオーノーである。

オーノーはマッドリブの実弟として知られるが、その存在は単なる「マッドリブの弟」では語れない。

兄と同じように、膨大なレコードを掘り続け、ジャンルを横断し、音楽そのものを素材として身体の中へ蓄積してきた。

だから『Gutter Water』には、二人の音楽マニアが長年集め続けたレコード棚そのものが詰め込まれているように感じられる。

それは影響関係というより、一瞬ずつ文化が作品へ乗り移ってくる感覚である。

ある曲ではプレミアが顔を出し、次の曲ではウータン・クランの気配が漂う。

さらに別の曲では、西海岸のレイドバックした空気がふっと現れる。

しかし、それらは模倣ではない。

身体の中で十分に発酵した文化が、その瞬間ごとに異なる表情として現れているのである。

まるで、マニアックな音楽文化が、どぶの中で核融合を起こしているようだ。

出典:Artpedia/アルケミスト+オーノー

私は、このアルバムを聴きながらカツカレーカルチャリズムという考え方を思い出した。

カツカレーのおいしさは、一つの食材から生まれるものではない。

カレーには数十種類ものスパイスがあり、玉ねぎや肉、野菜を時間をかけて炒め、煮込み、それぞれの旨味を重ねていく。

さらに、その上にカツが乗り、ご飯と出会い、一皿の料理として完成する。

一つひとつの素材は、それぞれ独立した文化である。

しかし、それらは互いを消し合うことなく、新しいコクを生み出していく。

『Gutter Water』もまた、そんな音楽だった。

このアルバムは、完成された様式ではない。

むしろ様々な文化が衝突し、混ざり、発酵し続けている現場そのものである。

だから音楽は濁っている。

しかし、その濁りは未熟さではない。

新しい表現が生まれる直前の豊かさなのである。

出典:Artpedia/アルケミスト+オーノー

『Gutter Water』というタイトルを見たときは、「どぶの水」とは何だろうと思った。

しかし聴き終えたとき、その意味が少し分かった気がした。

あれは汚れた水ではない。

あらゆる文化が流れ込み、混ざり、発酵する場所なのだ。

だから、その先に生まれるのが『Alfredo』というパスタであり、『Alfredo 2』というラーメンだったのである。

澄んだソースも、澄んだ出汁も、最初から澄んでいたわけではない。

どぶのような混沌の中で文化は煮込まれ、時間をかけて一つの味へと成熟していく。

文化は、澄んだ場所から生まれるのではない。様々なものが流れ込み、混ざり合う場所から、新しい味は生まれるのである。

ジャン・デュビュッフェ──混沌は構築できる

オーノーとアルケミストによる『Gutter Water』を初めて聴いたとき、その音はどぶ水のように感じられた。

ソウルがある。ジャズがある。映画音楽がある。古いヒップホップがある。

街のざらつきも、ノイズもある。

様々な文化が濁り合い、一つの大きな流れになっている。

出典:Artpedia/ジャン・デュビュッフェ「メトロ」

しかし何度も聴いていると、その印象は少しずつ変わってくる。

混ざっているのではない。混ぜているのである。

どの音を残し、どの音を削り、どこで濁らせ、どこで静けさをつくるのか。そのすべてが緻密に選び抜かれている。

一見すると混沌に見える世界は、実は強い意志によって構築されているのである。

その感覚を、美術の中で思い出させる画家がジャン・デュビュッフェである。

出典:Artpedia/ジャン・デュビュッフェ「パリのサーカス」
出典:Artpedia/ジャン・デュビュッフェ「パリのサーカス」

デュビュッフェは、美術館やアカデミーが評価する美しさだけを芸術とは考えなかった。

子どもの落書き。

街の壁の傷。

精神疾患をもつ人々の表現。

民衆の手仕事。

そうした、美術の外側にある表現へ目を向け、それらを「アール・ブリュット(生の芸術)」として紹介したことで知られている。

出典:Artpedia/ジャン・デュビュッフェ「微細な鼻を持つ牛」

彼の絵は、一見すると粗雑で無秩序に見える。

線は揺れ、形は歪み、画面は泥のような質感に覆われる。

しかし、その画面は決して偶然ではない。

色も、形も、余白も、画面全体のリズムも、驚くほど慎重に構成されている。

彼が描こうとしたのは、「下手な絵」ではない。

美術が見落としてきた価値を、新しい秩序として組み立て直すことだったのである。

出典:Artpedia/ジャン・デュビュッフェ「既婚女性」
出典:Artpedia/ジャン・デュビュッフェ「女の身体」

その姿勢は、『Gutter Water』にもよく似ている。

オーノーとアルケミストは、様々な文化をただ引用しているのではない。

ストリートの記憶、映画、ソウル、ジャズ、古いサンプリング文化──そうした異なる時間や場所を行き来しながら、それらを一つの空気として丁寧に編集している。

だから、このアルバムは「雑多な音楽」ではない。

混沌を設計した音楽なのである。

出典:Artpedia/ジャン・デュビュッフェ「ウールループ」

文化とは、純粋なものを守ることではない。

異なるものが出会い、ときに濁り、ときに衝突しながら、新しい秩序を生み出していく営みである。

ジャン・デュビュッフェは、そのことを絵画によって示した。

オーノーとアルケミストは、それをヒップホップによって示した。

混沌とは、秩序が失われた状態ではない。

新しい文化が生まれようとしている、その最も豊かな瞬間なのである。

出典:Artpedia/ジャン・デュビュッフェ

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