インスペクター・デック『Uncontrolled Substance』/ザーファイス『Every Hero Needs a Villain』─ 世界に同化せず、世界に参加する

音楽

インスペクター・デックのラップには、独特の安定感がある。

端正で、技術もしっかりしている。しかし、GZAのように言葉を知的に構築するわけでも、ゴーストフェイスのように強烈な語りで世界を押し広げるわけでもない。メソッド・マンのように声やフロウを自在に変化させるタイプとも違う。

デックのよさは、特定の個性を前面に押し出すよりも、どんな音楽のなかでもラップを成立させられるところにある。

出典:Artpedia/インスペクター・デック

1st、ソロアルバムの『Uncontrolled Substance(規制不能薬物)』を聴くと、ソウルのサンプリングやドラムの組み合わせが自然に感じられる。RZAのように音を加工して独自の音響世界をつくり込むというより、ラップが気持ちよく乗る場所をつくっている。

このアルバムは、制作上のトラブルなどもあって発表までに時間がかかり、1999年にリリースされた。その間、デックはラップだけでなく、ビートメイクへの関わりも深めていった。複数のプロデューサーが参加した作品ではあるが、ラッパーでありながら音楽を組み立てる側にも立っていたことは、彼の独特な位置づけにつながっているように思う。

出典:Artpedia/インスペクター・デック「Uncontrolled Substance」

彼は、音楽を自分の個性を表現するための器としてだけでなく、ラップがどのように音楽と関係を結ぶかという問題として捉えていたのかもしれない。

その資質を別の角度から見せてくれるのが、ザーフェイス(CZARFACE)の活動だ。

ザーフェイスは、デックがボストンを拠点に活動してきたラッパーのエソテリック、プロデューサーの7Lと組んだグループである。

出典:Artpedia/ザーフェイス

2011年頃に共同アルバムの構想が動き出し、アメコミを思わせるキャラクターと世界観を打ち出して、2013年の『Czarface』から本格的な活動が始まる。

出典:Artpedia/ザーフェイス「Czarface」

ここで重要なのは、デックが単にウータンの看板を背負って客演したのではなく、新たなグループの一員として、別の世界を共有する道を選んだことだ。

ウータンには、少林寺や武術映画、ストリートの生活感、独特の暗い音響などが結びついた世界がある。メンバーはそれぞれ異なる個性を持ちながらも、その世界観を共有することで集団としての強度を生み出していた。

そこには、自分たちの好きな文化を組み合わせる楽しさだけでなく、既存の音楽シーンのなかで、自分たちにしかできない場所をつくろうとする意識も感じられる。

出典:Artpedia/ウータン・クラン・ロゴ

ウータンという名前やロゴ、メンバーごとの異なる個性、グループとソロ活動を並行させる仕組み。音楽そのものに加えて、自分たちをどのような存在として世の中に登場させ、どう認識させるかという問題がある。

出典:Artpedia/ウータン・クラン・ロゴ

この点では、RZAの経験も気になる。彼はウータン以前にプリンス・ラキーム名義でソロ作品を発表している。1991年のEP『Ooh I Love You Rakeem』は、後に確立されるウータンのイメージとは異なる作品だった。

この経験が、その後の構想にどこまで影響したのかは断定できない。ただ、RZAがウータンを始める以前に、既存の音楽シーンのなかで自分の音楽を発表する経験をしていたことは確かだ。ウータンには、既存の流れに自分たちを合わせるのではなく、自分たちの世界を外に向けて成立させようとする意識が感じられる。

一方、ザーフェイスからは、もっと陽気な発想が感じられる。

アメコミが好きだ。昔のヒップホップが好きだ。ファンクやロックの音も使いたい。だったら、それらを組み合わせて、ヒーローやヴィランが登場する世界をつくってみよう。

実際の制作過程がそれほど単純だったわけではないだろう。しかし、作品からは、既存の音楽シーンで自分たちの立場を確立することよりも、好きな文化を組み合わせることで何ができるかという、遊びの感覚が伝わってくる。

『Every Hero Needs a Villain(すべてのヒーローには悪役が必要だ)』を聴いていると、その感覚は音楽にも表れている。

出典:Artpedia/ザーフェイス「Every Hero Needs a Villain」

2曲目、3曲目ではギターの存在感が印象に残る。ヒップホップのビートに装飾として添えられているというより、ロックやファンクの演奏が持つエネルギーが入り込んでくるように聴こえる。そこから、ファンカデリックを思い出した。

ファンカデリックのギターには、ファンクのグルーヴを支えるだけでなく、その流れを壊しかねないほど前に出てくる荒々しさがある。音が歪み、はみ出し、整った演奏の気持ちよさから逸脱していく。その不安定さ自体が、音楽のエネルギーになっている。

出典:Artpedia/ファンカデリック

ザーフェイスのギターが同じ働きをしていると断定する必要はないが、ビートの上に異なる種類のエネルギーが入り込み、音楽の重心を変えるという点では、ファンカデリックを連想させるものがある。

出典:Artpedia/ファンカデリック/Pファンク

また、Pファンクの世界では、架空の登場人物や衣装、宇宙船などが組み合わさり、音楽と物語がつながっていった。ミュージシャンはキャラクターを演じ、現実の自分とは異なる存在として、架空の世界を動かしていく。

出典:Artpedia/ファンカデリック「ハードコア・ジョリーズ」 カバーイラストはペドロ・ベル

ザーフェイスにも、これに通じる発想がある。ヒーローやヴィラン、誇張されたキャラクター、コミック的なユーモア。そこにファンクやロックの感触が入り込むことで、コミックの世界はグラフィックや設定にとどまらず、音楽のなかでも動き始める。

サウンドはウータンの作品のように緻密につくり込まれているわけではなく、素朴で、少しチープにも聴こえる。しかし、そのシンプルさが聴きやすさや遊びにつながっている。すべての要素をひとつの様式に統一するよりも、ラップ、ビート、ギター、キャラクターの組み合わせを楽しむ。そこでは、異なるものが出会うことで生まれる面白さが重要になる。

出典:Artpedia/ザーフェイス

もちろん、ザーフェイスにも活動を持続させるための戦略はあり、ウータンにも遊びの感覚はある。それでも、ウータンが自分たちの世界を外に向けて成立させようとするのに対し、ザーフェイスでは、遊びのなかで世界が膨らみ、その世界自体が活動の基盤になっていくように見える。

この違いを考えると、デックのニュートラルな資質も見えてくる。

デックは、ウータンのメンバーとしてラップするときも、ザーフェイスの一員としてコミックの世界に参加するときも、基本的なラップのスタイルを大きく変えるわけではない。

出典:Artpedia/インスペクター・デック

ニュートラルというのは、個性がないという意味ではない。自分の個性を特定の世界観に強く結びつけすぎないということだ。周囲の音楽や仲間の個性を受け入れながら、自分のラップの確かさを保つ。そのため、異なる共同体に参加しても、無理に自分を作り変えたり、自分の世界観を押しつけたりする必要がない。

この関わり方は、コスプレに似ている。

キャラクターの衣装をまとい、その世界のルールに乗ってみる。けれども、キャラクターと自分自身を完全に同一化する必要はない。役割を引き受けながら、その外側にも自分の居場所を残しておく。

出典:Artpedia/インスペクター・デック

ザーフェイスのアメコミ的な世界観は、別の世界に参加するための入口になる。デックはウータンの一員であることを捨てずに、別のキャラクターの世界にも入っていけるのだ。

ここには、ポップの可能性も見えてくる。既存の文化を批評の対象として外側から眺めるだけでなく、その内部に入り、登場人物や形式を借り、別の要素と組み合わせてみる。そうした参加や編集の楽しさも、ポップの重要なあり方になっている。

自分の内面を作品全体に刻み込んだり、すべてをひとつの形式に統一したりすることだけが、作家の個性ではない。何を選び、何と組み合わせ、どの共同体に参加するか。その選択や編集の仕方にも、個性は表れる。

ザーフェイスは、共有されたアメコミの世界観を足場に、新しい音楽やキャラクターの組み合わせを楽しむことができる。形式があるから遊びができるが、形式にすべてを従属させる必要はない。

出典:Artpedia/ウータン・クラン

ウータンのなかで、メソッド・マンが声やフロウを変化させることで異なる音楽をつなぐ存在だとすれば、デックは自分のラップの安定感を保ったまま、異なる世界に参加できる存在といえる。メソッド・マンは自ら変化することで周囲との接点をつくり、デックは自分の基本的な輪郭を保つことで、異なる要素が共存できる場所をつくる。

ウータンは、強い個性を持つ集団だった。しかし同時に、それぞれの個性がひとつに統一されなくても共存できる集団でもあった。デックのニュートラルな資質は、その可能性をウータンの外側にまで広げている。

出典:Artpedia/ウータン・クラン

彼の面白さは、ひとつの世界を代表することだけではなく、異なる世界のあいだを移動し、それぞれの世界が成立するための一員になれることにある。

ウータンでは、自分たちの世界を外に対して成立させることが重要だった。ザーフェイスでは、面白い世界をつくり、そのなかで遊び続けることが活動の原動力になっているように見える。

デックは、そのどちらにも参加できる。世界に同化せず、世界に参加する。その柔軟さが、彼というラッパーの独特な強さなのだと思う。

出典:Artpedia/インスペクター・デック

ラムール・シュプリーム ─ キャラクターが世界をつくる

ラムール・シュプリーム(L’Amour Supreme)の作品には、奇妙なキャラクターが次々と登場する。

怪物のような顔、誇張された身体、鮮やかな色彩。アメリカン・コミックやSF、玩具、ストリート文化を思わせるイメージが入り交じり、どこか懐かしく、それでいて騒々しい。洗練されたデザインというより、さまざまなイメージが増殖していく楽しさがある。

出典:Artpedia/ラムール・シュプリーム

彼は絵画やドローイングだけでなく、コミック、玩具、衣服のデザインなど、幅広い領域で活動してきた。ひとつの表現形式に自分を限定せず、異なる文化のあいだを行き来しながら、既存のイメージを使って新しい世界をつくっている。

その特徴がよく表れているのが、ヒップホップ・グループ、ザーフェイスの作品だ。

出典:Artpedia/ラムール・シュプリーム:ザーフェイス・アルバムカヴァー

彼らは音楽にアメコミのヒーローやヴィランを思わせるキャラクターと物語を組み合わせ、独自の世界観をつくり上げてきた。ラムール・シュプリームは、その視覚的な世界を支えるキャラクターの造形を担っている。

出典:Artpedia/ラムール・シュプリーム:ザーフェイス・アルバムカヴァー

ここでカバーアートは、単に音楽の内容を説明するものではない。キャラクターはアルバムの顔となり、コミックやフィギュアなどへと展開される。音楽を聴くことが、そのまま架空の世界に触れることにつながっていく。

つまり、彼はアルバムのために絵を描くだけでなく、音楽とともに成長する視覚的な世界をつくっているのだ。

出典:Artpedia/ラムール・シュプリーム:ザーフェイス・アルバムカヴァー

面白いのは、その世界が、まったく新しい文化をゼロから生み出すことで成立しているわけではないことだ。

出典:Artpedia/ラムール・シュプリーム

アメコミには、ヒーローやヴィラン、怪物、変身、誇張された身体といった、長い歴史のなかで共有されてきた表現がある。ラムール・シュプリームは、それらにストリート文化や玩具、グラフィックの感覚を組み合わせていく。元の文化をそのまま再現するのでも、すべてを自分だけの様式に統一するのでもない。すでにあるイメージを使いながら、別の世界をつくるのである。

ここでは、引用は過去への敬意であると同時に、遊びのための道具でもある。

出典:Artpedia/エレメント×ラムール・シュプリーム コラボ

ヒーローの造形には、正義や勇気を象徴する伝統的なイメージがある。しかし、怪物的な身体や過剰な装飾、コミック特有の誇張が加わると、その意味は少しずつずれていく。キャラクターは物語を伝えるだけでなく、形や色、記号を楽しむ存在にもなる。

ヒーローなのか怪物なのか、芸術なのか商品なのか、コミックなのかデザインなのか。そうした境界を厳密に決めるよりも、異なる要素が一緒に存在すること自体を楽しむ感覚が生まれている。

出典:Artpedia/エレメント×ラムール・シュプリーム コラボ

この姿勢は、ザーフェイスの音楽ともよく合っている。

ウータン・クランが、独自の音楽やキャラクターを通じて、ヒップホップの世界に自分たちの場所を築こうとしてきたとすれば、ザーフェイスには、好きなものを持ち寄り、組み合わせながら世界を広げていくような明るさがある。もちろん、そこにも緻密な戦略はあるだろう。しかし、アメコミや古いヒップホップ、ファンクやロックの要素を取り込み、ひとつの遊び場をつくっていく感覚が強く表れている。

出典:Artpedia/ラムール・シュプリーム

インスペクター・デックのラップも、その世界に参加しながら、ウータンの一員として培ってきた自分の輪郭を保っている。別の世界に入ることは、それまでの自分を捨てることではない。異なる要素と共存しながら、そこに新しい関係をつくることができるのだ。

ラムール・シュプリームは、そうした音楽の世界を視覚的に広げている。ラッパーがキャラクターを演じ、キャラクターがカバーやフィギュアになり、さらにコミックの物語へと展開していく。そこでは、ひとりの作家の内面を表現することだけでなく、複数の人間が共有し、参加できる世界をつくることが重要になっている。

出典:Artpedia/ラムール・シュプリーム「モンゴリオン・カスタム・トイ」

もちろん、彼の造形には強い個性がある。しかし、その作家性は、すべてを独自の様式に統一することだけによって生まれるのではない。何を引用し、何を組み合わせ、どんなキャラクターを生み出すか。その選択の積み重ねが、彼の個性を形づくっている。

ここには、ポップの別の可能性がある。

既存の文化から距離を取り、それを批評することだけが、新しい表現を生み出す方法ではない。すでにある文化のなかに入り込み、そのルールを受け入れながら、別の要素を持ち込んでみる。ひとつの形式を完成させることよりも、組み合わせを変えながら遊び続けることに、新しさが生まれる場合もある。

出典:Artpedia/ラムール・シュプリーム「ベアブリック」

キャラクターは、そのための入口になる。自分自身を直接表現しなくても、キャラクターを通じて別の世界に参加できる。そして、その世界はひとりの作家の所有物にとどまらず、音楽家やデザイナー、コミックの描き手、観客へと開かれていく。

ラムール・シュプリームの作品が面白いのは、イメージをひとつの意味に閉じ込めるよりも、使われ、変形され、別の場所へ移動していくことを肯定している点にある。

ひとつの世界をつくることと、その世界を閉じたものにしないこと。その両方が、彼の作品にはある。キャラクターは世界を象徴するだけではない。異なる人々が集まり、そこに参加し、新しい組み合わせを生み出していくための場所にもなるのだ。

出典:Artpedia/ラムール・シュプリーム

ウータン・クラン『Black Samson, The Bastard Swordsman』─ 神話からライブへ戻る音 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ

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