コラム26:民族の理想と国家の戦略

コラム・アート概論

可視化される欲望の変容

スラヴ民族の精神的統一を壮大な歴史画として描いたのが、アルフォンス・ミュシャである。代表作《スラヴ叙事詩》(1910–1928)は、民族の苦難と栄光を描き出し、その歴史と精神を可視化する試みであった。ここに見られるのは、単なる誇示ではない。むしろそれは、自らの存在を他者に伝え、共有しようとする切実な欲望である。芸術はこのとき、他者との関係を開くための媒体として機能している。

出典:Artpedia/アルフォンス・ミュシャ「スラヴ叙事詩」
出典:Artpedia/アルフォンス・ミュシャ「スラヴ叙事詩」

しかし、こうした民族的ヴィジョンは、そのまま20世紀初頭のロシアに引き継がれることはなかった。ロシア革命後に登場したロシア・アヴァンギャルド、すなわちカジミール・マレーヴィチやウラジーミル・タトリンらが志向したのは、過去の記憶ではなく、未来の構造であった。ここで芸術は、感情や物語を伝達するものから、社会を設計するための思考装置へと転換する。

出典:Artpedia/最後の未来派絵画展 0,10

その造形がしばしば無機質で観念的に見えるのは、現実から切り離された「無菌室」の産物だからではない。むしろ逆に、革命という過剰な現実の只中において、直接的な感情や身体性を扱いきれなくなった結果、それらを極限まで抽象化したものなのである。そこでは身体や欲望が消えたのではなく、理念のもとに強く従属させられている。

出典:Artpedia/カジミール・マレーヴィチ「ナイフ・グラインダー」

やがて1930年代、ヨシフ・スターリン体制のもとで状況は再び転換する。社会主義リアリズムが確立され、労働者や指導者を英雄的に描く写実表現が求められるようになる。ここで芸術は、未来を設計する装置から、国家理念を視覚的に正当化する手段へと変わる。可視化の欲望は、「共有」から「統御」へとその性格を変えるのである。

出典:Artpedia/コンスタンティン・ユオン「レーニンの最初の演説」

この流れは単純な断絶ではない。伝えることと、見せつけること――この二つの欲望は常に重なり合いながら、その比重を変えてきた。ロシア・アヴァンギャルドにおいてすら、新しい人間や社会の在り方を提示するという点で、伝達と統御の両義性はすでに内在していた。

出典:Artpedia/ジュール・ペラヒム「平和のために戦う」

さらに現代においては、この構造そのものが露出する。ソヴィエト崩壊後、経済成長を遂げた中国という新たな力学のもとで、蔡国強(ツァイ・グオチャン)は、1999年の第48回ヴェネツィア・ビエンナーレにおいて中国代表として登場し、金獅子賞を受賞する。

出典:Artpedia/蔡国強、第48回ベネツィアビエンナーレでの展示
出典:Artpedia/蔡国強、第48回ベネツィアビエンナーレでの展示

そこで展開されるのは、単なる国家の誇示ではない。モニュメンタルなスケールや強い視覚的効果は、ときに社会主義リアリズムを思わせる身体イメージや歴史的記憶を喚起しながらも、それを単純に再現するのではない。国家、資本、国際舞台が交錯する中で、誇示や可視化がどのように生成されるかというプロセス自体の提示である。芸術はもはや単に何かを表現するのではなく、表現を成立させている力学そのものを映し出す。

出典:Artpedia/蔡国強、第48回ベネツィアビエンナーレでの展示

このように見ていくと、芸術の背後には常に三つの要素がせめぎあっていることがわかる。すなわち、理念、欲望、そして身体である。これらは固定されたものではなく、時代や社会の条件の中で主従関係を変えながら現れる。あるときは理念が他を覆い、あるときは身体が前景化し、またあるときは欲望が制度のかたちをとる。

芸術とは、この三つの力の均衡が生み出す現象である。そしてそのバランスの変化こそが、時代の姿を映し出している。

出典:Artpedia/アルフォンス・ミュシャ「スラヴ叙事詩」

ミュシャが民族の理想を可視化し、ロシア・アヴァンギャルドが未来の構造を思考し、そして現代の芸術がその背後の戦略を露出させるとき、私たちは単なる様式の変化ではなく、可視化される欲望のかたちそのものの変容を見ているのである。

それはもはや、カツカレーの味を語る段階ではない。その背後にある配給の仕組みや、誰がそれを設計し、誰に届けようとしているのか――そうした構造までもが、同時に見えてしまう地点に、私たちは立っている。

出典:Artpedia/フョードル・シュルピン「私たちの祖国の朝」

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