西洋近代を翻訳しながら形成された日本のモダニズムは、やがて次の段階へ入っていく。
それは、「輸入された前衛」が、日本社会の内部でどのように生き延び、変質し、生活へ接続されていったのかという問題である。
この変化を象徴するのが、フォーヴィスムの受容であった。

20世紀初頭、アンリ・マティスやアンドレ・ドランらによって展開されたフォーヴィスムは、強烈な原色と荒々しい筆触によって、それまでの絵画秩序を大きく揺さぶった。
そこでは自然を正確に再現することよりも、感覚や衝動を画面へ直接解放することが重視された。

しかし、この「野獣派」と呼ばれた運動は、日本へ到着したとき、ヨーロッパとは異なるかたちへ変化していく。
重要なのは、日本ではフォーヴィスムが、そのまま都市的前衛として定着しなかったことである。
パリにおいてフォーヴィスムは、近代都市の速度、快楽、刺激、解放感と深く結びついていた。
カフェ、劇場、ブルジョワ文化、リゾート――そこでは色彩そのものが、都市生活の高揚と結びついていたのである。
しかし当時の日本は、依然として共同体的感覚や江戸的生活文化を色濃く残していた。
一方で国家は、富国強兵のもと、西洋列強へ追いつくため、人々の身体や感情までを「強い主体」へ作り替えようとしていた。

つまり日本社会には、
- 調和や間接性を重視する江戸的感性
- 競争や拡張を求める近代国家
が同時に存在していたのである。
このねじれの中で、西洋前衛は単純には定着しない。
フォーヴィスムの「野性」は、日本では社会との異なる接続のされ方を通じて、別々の方向へ変質していった。
熊谷守一において、フォーヴ的単純化は、静かな小宇宙へ変わる。
強い輪郭と鮮やかな色彩は残されながらも、そこにあるのは都市の興奮ではない。
庭、猫、草花、虫――視線は巨大な歴史や国家から離れ、身近な存在の気配へと縮小していく。

それは前衛の放棄というよりも、近代の速度や競争から距離を取りながら、別の時間感覚を守ろうとする態度であった。
熊谷の画面には、江戸以来の小宇宙的感覚や、神仏習合的な共存感覚すら漂っている。
一方、萬鉄五郎において、フォーヴィスムはむしろ社会との摩擦として現れる。
強烈な原色、変形された人体、荒々しい構図――そこには生活空間へ滑らかに収まることを拒むような熱量がある。

萬の絵画は、西洋近代を消化しきれずに噴出したエネルギーそのものだった。
それは日本社会へ順応する前に爆発した「未整理の野性」であり、近代化の圧力そのものが画面内部で軋んでいるようでもある。
そして梅原龍三郎に至ると、フォーヴ的色彩は、豊穣さや高級感、装飾性へ接続されていく。
そこでは前衛の激しさは次第に洗練され、百貨店文化や都市ブルジョワ文化の内部へ組み込まれていく。

梅原の色彩は依然として大胆である。
しかしそれは、萬のように社会と衝突するのではなく、「所有される美」として安定している。
西洋前衛の野性は、日本ではここで制度や市場と結びつき、文化資本として定着していくのである。
ここで起きているのは、西洋前衛の単純な受容ではない。
フォーヴィスムという「野性」は、日本社会の内部で、
- 親密性
- 精神性
- 制度性
へと分岐しながら変質していった。

それは、西洋近代がそのまま根付いたのではなく、日本の生活構造や共同体感覚、国家的緊張の内部で組み替えられていったことを示している。
この構造は、食文化にもよく似ている。
異国からやってきた刺激的なカレーは、日本では出汁や米食文化と結びつき、とろみを持った日常食へ変化していった。
さらにそこへカツが乗ることで、「外来性」と「生活感覚」が一つの皿の上で共存する。
フォーヴィスムもまた、日本では同じように変質したのである。

そこでは「野獣」は完全には暴れない。
しかし消え去るわけでもない。
その野性は、庭へ入り込み、精神へ沈潜し、あるいは百貨店のショーウィンドウへ飾られながら、日本社会の内部で独自の生態系を形成していった。
そしてその延長線上には、現代日本における、小さな幸福、親密な距離感、静かな空間、キャラクター的共存感覚へとつながっていく、もうひとつのモダニズムの流れが見えてくるのである。


コメント