前回は、猫を通してアバター化を考えた。
今回は、同じ構造が「色」にも現れていることを見ていく。
子どもの頃、戦隊ヒーローを見ていると、赤・青・黄・桃・緑といった色が、そのまま人物の違いになっていた。

赤はリーダー、青はクール、黄色はコミカル、桃は女性的。
色を見るだけで、その人物の性格や役割を予測できた。
色は衣装であると同時に、人格のラベルだった。

もちろん、色と性格の結びつきは、戦隊ヒーローが生み出したものではない。しかし、複数の人物に異なる色を割り当て、繰り返し見せることで、色と役割の対応関係はわかりやすい仕組みになる。
色を見ることが、その人物を理解するための入口になるのだ。
この仕組みはロボットにも引き継がれる。
ガンダムの白・青・赤は、あまりにも「主人公らしい」。

こうした色彩の組み合わせには、ヒーローや主役メカを思わせる印象がある。色そのものに決まった意味があるというより、これまでの作品やデザインの積み重ねによって、特定の配色が主人公らしさを感じさせるようになっている。

その色を見た瞬間、私たちは、それが物語の中心にいる存在だと理解する。
一方で、エヴァンゲリオン初号機は、その文法を揺さぶった。
紫と黄緑。

従来の主人公メカとは異なる、不穏さや異質さを感じさせる色の組み合わせである。
しかし、その機体が主人公だった。
ここでは色だけでなく、「主人公らしさ」という設定そのものが不安定になる。
白・青・赤でなくても主人公になれる。
従来のヒーロー像とは異なる色でも、物語の中心に立つことができる。
それまで当然だった色彩の文法が、必ずしも守られなくなる。
これは単なるデザインの変化ではない。
「主人公」という記号の更新だったのかもしれない。
さらにセーラームーンになると、仕組みはもっと複雑になる。
セーラームーン、セーラーマーキュリー、セーラーマーズ、セーラージュピター、セーラーヴィーナス。

それぞれに固有の色があり、名前があり、惑星があり、衣装があり、武器があり、能力があり、性格がある。
ここでは、一つの色が一つの役割を示しているだけではない。
複数の記号を重ねることで、一人の人格そのものが組み立てられている。
人はまず色を見て、その人物を識別する。
しかし、実際には色だけを見ているわけではない。
名前、物語、口調、能力、人間関係といったさまざまな要素をまとめて受け取り、その人物を理解している。
人格は、内側にあるものが外側に表現されるだけではない。外側に配置された複数の記号を通して、私たちがその人物を一つの人格として認識していく面もある。

キャラクターは、最初からすべての要素が一体となった存在として現れる。
色や名前や衣装は、その人格に後から付け加えられた装飾というより、私たちがその人格を認識するための構成要素になっている。
そして、この構造は現実の人間にも入り込んでくる。
アイドルはイメージカラーを持ち、ファンはその色で応援し、グッズにもその色が使われる。

企業にはコーポレートカラーがあり、スポーツチームにはチームカラーがあり、SNSにはアイコンがある。
色を見るだけで、私たちは「誰」を指しているのか理解できる。
複雑な社会では、一人の人間を最初から理解するよりも、まず記号として認識するほうが早いからだ。
色や名前、ロゴやアイコンは、人物の複雑さをいったん小さな手がかりに置き換える。
その手がかりを通して、私たちは相手を認識し、関係を結び始める。

ここで猫に戻る。
猫がキャラクターになり、名前や色を与えられ、服を着て、アイコンになる。
猫らしさを示していた記号が、いつの間にか猫そのものに代わって働き始める。
人間も同じだ。
自分らしい色を選んでいるつもりでも、いつの間にか、その色が自分らしさとして認識される。
自分が記号を使っているのか。
記号が自分を使っているのか。
その境界は曖昧になる。
戦隊ヒーローは、色によって役割を示した。

ガンダムは、色彩の組み合わせによって主人公らしさを示した。
エヴァンゲリオンは、その結びつきを揺さぶった。
セーラームーンは、色を含む複数の記号によって人格を構成した。
そして今、私たちはそれを現実社会の中でも使っている。
色とは単なる装飾ではない。
人格を構成する記号群の入口である。

赤になる。
青になる。
名前になる。
ロゴになる。
アイコンになる。
私たちは色だけで人物を理解しているのではない。
色を含むさまざまな記号を手がかりに、人や人格を組み立てているのである。


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