コラム55:猫と色と私Ⅰ ─ 猫になる ~ 気づかないアバター化と透明になる自我

コラム・アート概論

猫には、いくつもの姿がある。

目の前を歩く猫。写真の猫。絵に描かれた猫。キャラクターになった猫。企業ロゴの猫。SNSのアイコンの猫。ぬいぐるみの猫。

出典:Artpedia/猫(イメージ)

どれも「猫」と呼べるが、実物から遠ざかるほど、猫そのものよりも「猫らしさ」を構成する特徴 ─ 耳、目、毛並み、しぐさ、かわいらしさ ─ が前面に出てくる。特徴の組み合わせによって、別の「猫らしい存在」がつくられていく。

ここまでは昔からある構造だ。

しかし現代では、その先が加速している。

出典:Artpedia/葛飾北斎「猫とハイビスカス」

猫のキャラクターに帽子をかぶせ、衣装を着せ、名前をつける。

もはやそれは「猫そのもの」ではなく、「猫というキャラクター」にさらに別の設定を重ねた存在である。

猫は猫のままではなくなるが、猫であることも完全には消えない。

猫の上に、別の猫が乗っている。

レイヤーが増えるほど、最初の猫は遠くなる。

出典:Artpedia/ハロー・キティ

最後には「猫を表現している」というより、猫から派生した何かが、別の人格として動き始める。

これを、ここではアバター化と呼びたい。

アバターというとゲームやSNSを思い浮かべるが、その構造はもっと身近にある。

出典:Artpedia/猫のアイコン

会社に入れば会社員になり、部署に配属されればその部署の人になる。名刺を渡す瞬間、個人よりも「社会の中で機能する存在」として認識される。

会員証も同じだ。そこにあるのは人生そのものではなく、番号やバーコードによって識別される「会員としての自分」である。

SNSではさらに軽くなる。

本名ではなくハンドルネームを使い、顔ではなく猫のアイコンを置く。プロフィールを書き、投稿し、フォロワーとの関係の中で「その人らしさ」が形成される。

出典:Artpedia/猫のアイコン

最初は自分が猫のアイコンを使っているだけだったのに、いつの間にか周囲は「猫のアイコンの人」として自分を見る。

アイコンは単なる絵ではなく、自分の代わりに社会で活動する存在になる。

ここで、従来の「仮面=ペルソナ」という考え方も問い直される。

私たちは、自分には社会的な役割とは別に、変わらない「本当の自分」があると考えがちだ。

会社での自分、家庭での自分、友人といるときの自分。それぞれに違いがあっても、その奥には一つの自分が存在し、仮面を外せばそこへ戻れると考える。

出典:Artpedia/ニャンコ先生、夏目友人帳

しかし、現代の私たちは、本当にそうした一つの自分を中心にして生活しているのだろうか。

会社には会社の自分があり、SNSにはSNSの自分がある。趣味のコミュニティには、そこでの自分がいる。

それぞれの場所で、名前やアイコン、振る舞い方や他者との関係が異なる。

自分がキャラクターを選んでいるようで、実際には、場のほうが「こういう自分」を求めていることもある。

その結果、自我は消えるのではなく、薄くなり、透明になる。

どこに行っても「自分」はいる。

出典:Artpedia/ジバニャン、妖怪ウォッチ

しかし、前面に出ているのは、必ずしも自分自身を意識して選び取った姿ではない。その場で機能する設定や、他者から期待される役割が、自分に代わって振る舞っている。

猫でいえばこうだ。

一匹の猫がキャラクターになり、衣装を着せられ、名前を与えられ、アイコンになり、誰かと会話する。

やがて周囲は、そのアイコンを一つの人格として認識する。

最初の猫はまだどこかにいる。

出典:Artpedia/ハロー・キティ

しかし、どの姿が本体なのかを問うことの意味は、少しずつ薄れていく。

人間も同じだ。

私たちは自分を失ったのではない。自分をさまざまな場所に分配し、それぞれの場で必要とされる「自分らしさ」を身につけている。

名刺を渡す。社員証をかざす。会員証を見せる。アイコンを設定する。ハンドルネームを決める。

どれも小さな行為だが、積み重なることで、人間そのものがいくつもの「場に適した存在」として現れるようになる。

出典:Artpedia/猫のアイコン

猫のキャラクターに、また別のキャラクターを重ねるように。

最後には、どのキャラクターが本体かを考えなくても生活できるようになる。

これは自由でもあり、同時に奇妙でもある。

出典:Artpedia/河鍋暁斎

自分が何者なのかを決めているのは、自分だけではない。会社、SNS、コミュニティ、サービス、アルゴリズム、他者の評価。それらの「場」が、自分の姿を形づくっている。

自我は消えない。

ただ、透明になる。

どこにでもいるが、どこにも完全な形では現れない。

私たちは今、猫のように、いくつもの姿を持つようになった。 そして、もっと大きな変化は、そうなっていることに、ほとんど気づかなくなったことなのかもしれない。

出典:Artpedia/歌川広重「名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣」

コメント

タイトルとURLをコピーしました