ジョーイ・バッドアスの作品を聴いていると、「知っていること」の意味が少しずつ変化しているのがわかる。
17歳で『1999』を発表した頃のジョーイは、90年代ニューヨークのヒップホップの文法を自在に扱っていた。

ブーンバップ。
ジャズ・サンプリング。
ナズやウータン・クランの系譜。
その「俺はこの歴史を知っている」という姿勢自体が、ひとつのフレックスだった。
金や車を見せつけるのではない。
ヒップホップの歴史を知っていること。
その文法を使いこなせること。
それ自体が格好よさになっていた。

2012年に発表された『1999』は、過去のヒップホップを懐かしむだけの作品ではなかった。
90年代の音楽が持っていた手触りや緊張感を、若いラッパーが自分の表現として成立させていた。
そこには、過去の音楽を知っていることと、それを現在のものとして鳴らせることの両方があった。
しかも、プロ・エラという集団の存在も、ジョーイへの期待を大きくしていた。
彼はひとりの優れたラッパーであると同時に、ニューヨークのヒップホップが新しい世代によって動き始めることを予感させる存在でもあった。
2015年の1stアルバム『B4.DA.$$』では、その姿勢がさらに具体的になる。

ここでは、単に90年代らしい音を再現するだけではない。
DJプレミアが「Paper Trail$」を手がけるなど、過去のヒップホップとのつながりを感じさせる音作りも取り入れている。
ジョーイは、90年代の雰囲気を借りるだけでなく、その歴史を形づくってきた人物や音楽との接点を、自分の作品のなかにつくっていく。
「俺はこの時代を知っている」。
その知識が、音の選び方や制作陣との関係にまで表れている。
知識を持っていることだけでなく、それを自分の表現として使いこなせること。
そこに、ジョーイならではのフレックスがある。
しかし、歴史を受け継ぐことと、歴史を更新し続けることは違う。
90年代のヒップホップを知り、その文法を使いこなせることは、初期のジョーイにとって大きな武器だった。
ただ、その文法を自分のものにした後には、別の問いが生まれる。
伝統を使いこなせることを示した後、何によって自分を更新するのか。
2017年の『ALL-AMERIKKKAN BADA$$』では、その問いに対するひとつの答えが示される。

それまでヒップホップの歴史に向けられていた「知っている」という意識が、今度は社会へと向かっていく。
警察暴力。
人種差別。
社会のなかに組み込まれた不平等。
ジョーイはラップを、技術やヒップホップの知識を見せる場所としてだけでなく、自分が生きている社会について語る場所として使い始める。
ただし、突然コンシャスなラッパーへと変わったわけではない。
アルバムには、社会の矛盾を正面から扱う曲がある一方で、攻撃的なラップや、従来のヒップホップの格好よさを前面に出した曲もある。
コンシャスとフレックスが、ひとつの作品のなかに同居している。

ここで起きているのは、フレックスそのものが消えることではなく、その中身が変わることだ。
『B4.DA.$$』では、「90年代のヒップホップを知っている」。
『ALL-AMERIKKKAN BADA$$』では、「自分の国で何が起きているのかを知っている」。
ヒップホップの歴史を知っている。
社会の矛盾を知っている。
そして、知ったことを自分の言葉で語る。
知識を持ち、それを表現できることが、新しい自己演出になっていく。
ただし、社会について語ることと、それを深く理解することは同じではない。
問題を提示することと、その問題の複雑さを引き受けることのあいだには距離がある。
ケンドリック・ラマーの作品では、社会の問題が個人的な記憶や感情、罪悪感、矛盾した自己認識と絡み合っている。
社会を語ることは、同時に自分自身の内部を掘り下げることでもある。

それに対して『ALL-AMERIKKKAN BADA$$』では、社会に存在する問題を幅広く取り上げ、まず何が起きているのかを示し、聴き手に意識を向けさせるという側面が強い。
もちろん、ジョーイが社会の問題を表面的にしか理解していないということではない。
ここで考えたいのは、問題を認識していることと、その認識を独自の表現へと変換することの違いだ。
それでも、このアルバムでジョーイが表現の領域を広げたことは確かだと思う。
ヒップホップの歴史を知ることから、社会を知り、それを語ることへ。
その変化は、彼がラッパーとしての役割を広げようとしたことを示している。
しかし、その後のキャリアを振り返ると、別の問題も見えてくる。
2022年の『2000』は、タイトルからして『1999』とのつながりを感じさせる作品だ。

サウンドやラップのあり方にも、初期のジョーイを思わせる魅力がある。
社会へと広げた視線をいったん脇に置き、ラップそのものの技量やグルーヴ、ヒップホップの伝統に改めて向き合う。
その意味では、原点への回帰と呼んでもよいだろう。
ただし、2012年と2022年では、同じスタイルが置かれている環境が違う。
『1999』の頃、90年代のヒップホップの文法を自在に扱うことは、過去の音楽を現在へと引き戻す行為だった。
若いラッパーが、その歴史を自分のものとして鳴らしている。
そのこと自体が、新鮮さにつながっていた。

しかし、『2000』の時点では、過去の文法を継承することそのものが、新しさを保証するわけではない。
90年代のヒップホップは、すでに歴史として広く共有されている。
そのスタイルを理解し、使いこなすラッパーも、ジョーイだけではない。
だから、同じようにラップがうまく、ビートとの相性がよく、ヒップホップの伝統を理解していたとしても、それだけで次の時代を予感させるとは限らない。
音楽として成立していることと、時代の現在形として響くことは、必ずしも同じではないのだ。
もちろん、『2000』を単なる懐古的な作品と呼ぶのも違う。
原点に立ち返ることには、自分のラップの強みを確かめ、ヒップホップの伝統とのつながりを改めて示す意味がある。
ただ、その原点が、かつてと同じように未来への入口として聴こえるとは限らない。
『1999』では、伝統を知っていることが、新しい世代の登場を告げるフレックスになった。
『ALL-AMERIKKKAN BADA$$』では、その知識が社会を語ることへと広がった。
そして『2000』では、原点に立ち返ることで、伝統と現在のあいだにある距離が、かえって浮かび上がる。

かつて未来を感じさせた音楽が、今度は過去とのつながりを確認するものとして聴こえる。
そこには、ジョーイ個人の変化だけでなく、ヒップホップの歴史が積み重なったことによる環境の変化も表れているのかもしれない。
『ALL-AMERIKKKAN BADA$$』以降、ジョーイが活動をやめたわけではない。
しかし、『1999』の頃に感じられた、ヒップホップの次の時代を担う存在としての鮮烈さは、以前ほど前面に出てこなくなったように思える。
それは、単純に作品の質が落ちたということではない。
初期のジョーイが持っていた強みが、すでに多くの人に認識されていたことも関係しているのだろう。
90年代のヒップホップを知っている。
その文法を使いこなせる。
社会の問題にも意識を向けている。
それらはラッパーとして重要な資質だ。

しかし、資質を持っていることと、その資質を使ってしか生み出せない表現があることは同じではない。
ジョーイのキャリアには、その二つのあいだにある距離が表れているようにも思える。
伝統の内部にとどまるだけでは、現在性を獲得できない。
しかし、伝統から外へ出れば、それだけで新しい表現が生まれるわけでもない。
ヒップホップの歴史を知ること。
社会の問題を知ること。
そして、自分の原点に立ち返ること。
ジョーイはその間を行き来している。

その歩みは、ひとりのラッパーが自分の表現を広げようとする過程であると同時に、過去の音楽を受け継ぐことが、いつ、どのように現在の意味を失っていくのかという問題にもつながっている。
意識していること。
知識を持っていること。
それを自分の言葉で表現できること。
それ自体が、新しいフレックスになる。
しかし、その先に何をつくり出せるのか。
『1999』から『ALL-AMERIKKKAN BADA$$』を経て『2000』へと続くジョーイの歩みは、その問いを残している。

ジャン=ミシェル・バスキア ─ 知っていることを絵にする
ジャン=ミシェル・バスキアの絵には、いろいろなものが入っている。
黒人の歴史、ジャズ、スポーツ、解剖学、医学、広告、企業名、映画、アートの歴史。
王冠や骸骨、身体の断片、数字、文字。
一つの画面に、それぞれ出自の違うものが並んでいる。
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しかし、バスキアはそれらを整理して説明しようとはしない。
自分が見てきたもの、読んだもの、聴いてきたものが、画面の中で次々と姿を現す。
だからバスキアの絵を見ていると、ときどき「これは何についての絵なのか」と考える前に、「この人はいったいどれだけのことを知っているのだろう」と感じる。
そこには一種のフレックスがある。
高級車やブランド品を見せるのとは違う。
自分が知っていることを次々と画面へ持ち込み、それを自分の言葉に変えていく。

「俺はこれを知っている」。
それ自体が、バスキアの絵の強さになっている。
ただし、それは単純な教養の提示ではない。
バスキアは西洋美術の歴史を知っていた。
同時に、黒人の歴史やジャズ、ストリートの文化も知っていた。
その二つをきれいに分けることなく、同じ画面へ置いてしまう。
『ハリウッド・アフリカンズ(Hollywood Africans)』では、黒人表象やハリウッド、広告、歴史にまつわる言葉やイメージが入り混じる。

『チャールズ一世(Charles the First)』では、ジャズやチャーリー・パーカーへの関心が、文字や王冠、人物像と結びついている。

歴史を説明するのではなく、歴史を自分の絵の材料にする。
ここで重要なのは、バスキアが「社会問題を描く画家」だけではないことだ。
彼の絵は、社会について語ると同時に、自分が何を知り、何に関心を持ってきたのかを見せる絵でもある。
黒人史を知っている。
ジャズを知っている。
美術史を知っている。
街の言葉を知っている。
そのすべてを一つの画面に持ち込んでしまう。
だから、知識と自己表現が分離していない。

知っていることが、そのままスタイルになる。
このところが、ラップとの相性がいい。
ヒップホップでは、何を知っているかが、そのまま自分の位置を決めることがある。
誰のレコードを聴いてきたのか。
どの時代のラップを知っているのか。
どんな言葉やフレーズを使いこなせるのか。
そうした知識を自分の表現に組み込めること自体が、ひとつのフレックスになる。
バスキアにも、それに近い感覚がある。
ただし、彼は知識を正確に並べて、「自分はこれだけ知っている」と証明するわけではない。

文字は読めそうで読めない。
図像は途中で消される。
人物と文字と数字が重なり、意味がずれていく。
そこでは、知識は教科書のように整理された情報ではなく、書き込まれ、消され、強調され、別のイメージと結びつきながら、絵画の一部へと変わっていく。
知識を見せることと、知識を絵にすること。
この二つは似ているようで、少し違う。

バスキアの場合、知っていることを画面に持ち込むだけでは終わらない。
それらをぶつけ、重ね、書き直すことで、もともとの意味や関係まで変えてしまう。
そこにバスキアの身体性がある。
そして、その「知っていること」は次第に、自分がどこにいるのかという問題へつながっていく。
黒人としてアメリカの歴史の中にいること。
美術の歴史の中にいること。
ニューヨークのストリート文化の中にいること。
バスキアは、それらを一つにまとめて説明するのではなく、互いにぶつける。

そこには、異なる文化や歴史のあいだを自由に移動できることの強さと、どこか一つに収まることのできない緊張が同時にある。
だから画面には、完成した意味よりも、いくつもの文化が接触したときに生まれる摩擦が残る。
バスキアの絵は、何かを「知っている人」の絵である。
しかし、その知識を一つの答えにまとめる絵ではない。
知っているものを並べ、重ね、消し、書き直す。
その過程で、知識そのものが絵画になる。
それは、教養を作品へ変えるというより、知っていることを生きたまま画面に持ち込むことなのだと思う。
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カツカレーカルチャリズム画家列伝78 ~ジャン=ミシェル・バスキア 編 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ

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