混ぜすぎた美術史 129 ~ヤン・ファーブル

アート

ヤン・ファーブル(1958–、ベルギー)

昆虫の鎧をまとった身体

ヤン・ファーブルの作品を見ると、まず美しいと思う。

青や緑に光る甲虫の翅。
金属のような光沢。
細かく並べられた昆虫の身体。

出典:Artpedia/ヤン・ファーブル「スカル」

しかし、しばらく見ていると、その美しさの奥から別のものが出てくる。

死。

骸骨。血。傷ついた身体。鎧を着た人間。昆虫のような身体。

きれいなのに、少し気持ちが悪い。

その感じは、ベルギーの先輩画家ジェームズ・アンソールを思い出させる。

出典:Artpedia/ジェームズ・アンソール「死神と仮面」

アンソールが仮面や骸骨、祝祭の群衆を一つの画面に押し込み、華やかさの中に死や腐敗の気配をつくったように、ファーブルもまた、美しいもののすぐ隣に死を置く。

ファーブルには、もう一つ奇妙な出発点がある。

彼はフランスの博物学者ジャン=アンリ・ファーブルの曾孫として知られている。ジャン=アンリ・ファーブルは『昆虫記』で知られ、昆虫を徹底的に観察し、その行動を記録した人物だ。ヤン・ファーブル自身も、幼い頃から昆虫に興味を持ち、1978年には両親の土地にテントを張って「鼻の研究所(Nose Laboratory)」と名づけた小さな研究室をつくっている。そこには昆虫、薬品、顕微鏡などが置かれていた。

出典:Artpedia/ヤン・ファーブル「鼻の研究所」

ここには、科学者の曾祖父から芸術家の曾孫へと続く、少し奇妙な時間の流れがある。

しかしファーブルは、曾祖父のように昆虫を科学的に分類するわけではない。

昆虫を、人間の身体へ持ってくる。

甲虫の翅は彫刻の表面になる。

昆虫はドレスになる。

出典:Artpedia/ヤン・ファーブル「天使の上り坂の壁」

そして鎧になる。

ここで「外骨格」という昆虫の身体構造が重要になる。

人間は身体の外側に服や鎧をつける。

昆虫は、最初から身体そのものが鎧のようになっている。

出典:Artpedia/ヤン・ファーブル「サングイス/マンティス」

ファーブルは、この違いをひっくり返してしまう。

人間の身体に昆虫の外骨格をかぶせる。

すると、鎧は単なる防具ではなくなる。

人間の皮膚なのか。

昆虫の殻なのか。

装飾なのか。

死んだ身体を覆うものなのか。

その境界がわからなくなる。

2001年の《サングイス / マンティス(Sanguis / Mantis)》では、ファーブルはカマキリを思わせる重い金属製の鎧を身につけ、自分の血で紙に文字や図像を描いた。作品のタイトルにある Sanguis は血、Mantis はカマキリを意味する。ここでは昆虫の外骨格と、人間の傷つきやすい身体が一つのパフォーマンスに重なっている。

出典:Artpedia/ヤン・ファーブル「サングイス/マンティス」

さらに遡れば、1978年の《私の体、私の血、私の風景(My Body, My Blood, My Landscape)》では、自分の身体を傷つけ、血を使ってドローイングを制作している。

出典:Artpedia/ヤン・ファーブル「私の体 私の血 私の風景」

血は赤い絵具ではない。

自分の身体から出てくるものだ。

だから、ここでは「描く」という行為そのものが身体になる。

紙の上に線を引くことと、身体から血が流れることが同じ場所に置かれる。

ファーブルにとって、生命と死は反対側にあるものではない。

生命があるから傷つく。

傷つくから血が出る。

血が出る身体は、やがて死ぬ。

そして死んだ身体は、骨や殻や標本になる。

出典:Artpedia/ヤン・ファーブル「ヘブン・オブ・ディライト」

昆虫もまた、生命の動きが止まれば標本になる。

つまりファーブルの昆虫は、生命の象徴であると同時に、死のイメージでもある。

この二重性が、彼の作品を不気味にしている。

甲虫の翅を大量に使った作品も同じだ。

出典:Artpedia/ヤン・ファーブル「ヘブン・オブ・ディライト」

ブリュッセル王宮の《喜びの天国(Heaven of Delight)》では、天井一面を大量の甲虫の翅鞘で覆い、光を反射する巨大な装飾空間をつくった。2002年のこの作品には150万枚以上の翅鞘が使われたとされる。

一枚一枚を見ると美しい。

出典:Artpedia/ヤン・ファーブル「ヘブン・オブ・ディライト」

しかし、それが何十万、何百万と集まると、別の感覚が生まれる。

美しいものが大量に集まることで、生命の痕跡そのものが巨大な物質になる。

出典:Artpedia/ヤン・ファーブル「ヘブン・オブ・ディライト」

ここには、ベルギーの美術史を思わせるものもある。

アンソールの仮面や骸骨。

ボスやブリューゲルの怪物。

ファン・エイク以来の細密な表現。

宗教的な身体。

そして中世の騎士や甲冑。

出典:Artpedia/ヤン・ファーブル「サルヴァトール・ムンディ」

ファーブルはこうした過去をそのまま再現しているわけではない。

昆虫を通して、現在の身体にもう一度呼び戻している。

そのため、彼の作品には奇妙な時間の重なりがある。

中世の騎士がいる。

昆虫がいる。

現代のパフォーマーがいる。

科学者のような観察がある。

そして、その身体から血が流れている。

出典:Artpedia/ヤン・ファーブル「天使の翼を持つ黄金の人間の脳」

過去と現在、自然と人工、科学と神話、生と死が、完全には混ざらないまま一つの身体に重なっている。

だからファーブルの作品は、未来的というより、むしろ古い。

ただし、それは懐古ではない。

昆虫という極端に古い生命の形を使いながら、現代の身体や芸術そのものを問い直している。

しかも、その古さは美しいだけではない。

甲虫の翅は宝石のように輝く。

出典:Artpedia/ヤン・ファーブル「コンゴでのヒエロニムス・ボスへのオマージュ」

鎧は英雄のように見える。

天使や聖人が現れる。

しかし、そのすぐ後ろには骸骨がいる。

美しい身体の中には、死んでいく身体がある。

この「美しいものの裏側に、血と死がある」という感覚は、アンソールを思わせると同時に、ファーブル自身の強い身体性へつながっている。

昆虫は、単なるモチーフではない。

出典:Artpedia/ヤン・ファーブル「絶望の騎士、美の戦士」

それは皮膚であり、鎧であり、標本であり、死体であり、同時に生き物でもある。

ファーブルはそこから、人間というものをもう一度つくり直していく。

出典:Artpedia/ヤン・ファーブル「絶望の騎士、美の戦士」

科学者だった曾祖父が昆虫を観察したように、ファーブルも昆虫を見る。

しかし彼は、昆虫を観察するだけでは終わらない。

昆虫を人間の身体に着せる。

身体を鎧にする。

鎧を彫刻にする。

血を絵にする。

そして、そこに中世の宗教やベルギーの美術史まで重ねていく。 彼は皿に、昆虫の外骨格と人間の血、ベルギーの歴史と中世の身体を、死と変態というルーで煮込んだのだ。

出典:Artpedia/ヤン・ファーブル「雲を測る男」

カツカレーカルチャリズム画家列伝81 ~ヤン・ファーブル 編 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ

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