LL クールJ『The FORCE』 ─ 記憶を宇宙化するヒップホップ

音楽

ヒップホップは、常に新しさを求めてきた音楽である。
新しい世代、新しいサウンド、新しい言葉。過去を更新することが、その文化の生命力だった。

しかし、長い時間を生きた表現者だけが到達できる別の未来もある。
それは過去を捨てることではなく、自分自身の歴史を素材として、新しい形へ変換することである。

LL クール Jの『ザ・フォース(The FORCE)』は、そのことを示す作品だ。

出典:Artpedia/LL クール J「ザ・フォース」

40年以上のキャリアを持つラッパーが、過去の栄光を振り返るのではなく、現在進行形のMCとしてビートの上に立っている。

驚くのは、単純な「若さ」ではない。

声の張り、フロウの軽さ、言葉を置く速度。
そこには、伝説として振る舞う人間ではなく、まだビートと格闘しているラッパーの身体がある。

出典:Artpedia/LL クール J

成熟とは、重くなることではない。
長い経験を通過した結果、余計なものが削ぎ落とされ、最初の衝動に近づいていくことでもある。

その身体性を支えているのが、Qティップ(Q-Tip)による音響設計である。

Qティップは、ヒップホップを単純に未来化したわけではない。

彼が行っているのは、ヒップホップが蓄積してきた記憶を一度分解し、別の空間へ配置することだ。

ジャズ、ソウル、ファンク、電子音響。
それらは明確な引用として前面に出るのではなく、音の奥に漂う気配として存在している。

出典:Artpedia/Qティップ

そこには、ア・トライヴ・コールド・クエスト(A Tribe Called Quest)の後期にも見られたQティップ独自の感覚がある。

初期トライブの魅力が、ジャズサンプルの温度やグルーヴにあったとすれば、後期のQティップは、ジャズそのものではなく、ジャズ的な思考――間、余白、反復、空間の生成――をヒップホップへ移植していった。

出典:Artpedia/初期の例:ア・トライヴ・コールド・クエスト「ローエンド・セオリ―」
出典:Artpedia/後期の例:ア・トライヴ・コールド・クエスト「ラヴ・ムーヴメント」

『ザ・フォース』は、その探求の延長線上にある。

その浮遊感は、マイルス・デイヴィスの『イン・ア・サイレント・ウェイ(In a Silent Way)』にも通じる。

出典:Artpedia/マイルス・デイヴィス「イン・ア・サイレント・ウェイ」

そこでは、ジャズは演奏者の技巧を競う場所から、音が存在する空間そのものを作るものへ変化した。

重要なのは、何を鳴らすかだけではない。
音と音の間に、どのような世界を生み出すかである。

Qティップのプロダクションも同じだ。

ヒップホップの力強さを消しているのではない。
むしろ、その歴史を一度透明化し、宇宙的な空間の中へ浮かべている。

そこにはアフロフューチャリズム的な感覚もある。

しかし、ここでの未来は単なるSF的な未来像ではない。

黒人音楽における未来とは、過去を忘れることではなく、過去に蓄積された記憶を別の可能性へ変換することである。

出典:Artpedia/LL クール J

『ザ・フォース』の宇宙は、どこか遠い惑星へ逃げるための宇宙ではない。

自分たちが生きてきた歴史そのものを、一度遠くから眺め直すための宇宙である。

だからこそ、LL クール Jの存在が重要になる。

Qティップがヒップホップの記憶を抽象的な音響空間へ変換するなら、LLはそこに身体を戻す。

しかし、それは過去への回帰ではない。

抽象化された空間を経験した後で、声、呼吸、リズムという最も原初的な身体へ戻ってくるのである。

宇宙へ行くことと、地面に立つこと。

その両方が同時に存在しているところに、『ザ・フォース』の強さがある。

出典:Artpedia/LL クール J &エミネム

『ザ・フォース』というタイトルは象徴的である。

それは単なる力強さではない。

長い時間を生きた表現者の内部に蓄積された、目には見えない力である。

ヒップホップの歴史。
ジャズの記憶。
黒人音楽が持つ未来への想像力。
そして一人のMCが積み重ねてきた身体。

それらが圧縮され、現在の音として放たれている。

『ザ・フォース』は、過去を保存する作品ではない。

過去そのものを未来のエネルギーへ変換する、成熟したヒップホップなのである。

出典:Artpedia/LL クール J

ウィレム・デ・クーニング ─ 抽象と身体を往復する絵画

抽象表現主義を代表する画家、ウィレム・デ・クーニングは、しばしば激しい筆触と巨大な画面によって語られる。

絵具を押しつけ、削り、重ね、画面を変化させ続けるその制作は、感情の爆発のように見える。

しかし、デ・クーニングの本質は、単純な表現の激しさにはない。

ウィレム・デ・クーニング「発掘」

彼が追求したのは、抽象と具象、形と崩壊、身体と空間が絶えず行き来する状態だった。

デ・クーニングは抽象表現主義の中心にいながら、完全な非具象へ向かわなかった。

代表作である「女」シリーズでは、女性の身体という具体的なイメージを描きながら、それを解体し、歪ませ、色と筆触の運動へ変えていった。

ウィレム・デ・クーニング「女」

そこでは、身体は固定された形ではない。

描く行為の中で生まれ、崩れ、再び現れる存在である。

デ・クーニングにとって具象とは、抽象の反対側にあるものではなかった。

抽象を通過した後に、もう一度発見される身体だった。

ウィレム・デ・クーニング「川へのドア」

晩年のデ・クーニングの絵画は、さらに軽やかになる。

初期の激しい格闘のような筆触から、線や色が空間を漂うような画面へ変化していく。

しかし、それは力を失ったのではない。

長い制作の時間を経たことで、必要な動きだけが残ったのである。

ウィレム・デ・クーニング「無題IV」

そこでは、線は対象を説明するために引かれるのではなく、身体の動きそのものとして存在している。

色彩は物体を表すのではなく、空間の中で呼吸している。

この往復運動は、成熟した表現者に共通する。

過去の形式を捨て、新しいものへ進むという一方向の進化ではない。

一度抽象化したものを、再び身体や記憶へ戻す。

そして戻ってきた身体は、以前と同じものではない。

経験によって変化した、新しい身体である。

ウィレム・デ・クーニング「無題XII」

それはLL クール Jの『ザ・フォース』にも通じる。

Qティップがヒップホップの歴史を抽象的な音響空間へ変換するように、デ・クーニングは絵画の歴史を筆触と空間へ変換した。

そしてLL クール Jが、その抽象的な空間の中に声と身体を取り戻すように、デ・クーニングもまた、抽象を経験した後に身体やイメージへ戻ってきた。

しかし、それは過去への回帰ではない。

抽象と具象を往復した結果、どちらにも還元できない新しい表現へ到達したのである。

成熟とは、ひとつの場所に到達することではない。 異なる場所を行き来しながら、その間に生まれる緊張を保ち続けることなのだ。

ウィレム・デ・クーニング「無題XII」

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