映画

身体は逃れない ― 『山猫』と『ヴェニスに死す』から読むヴィスコンティ

ルキノ・ヴィスコンティ ルキノ・ヴィスコンティの『山猫』と『ヴェニスに死す』は、一見すると題材も時代も異なる作品である。前者は19世紀半ばのシチリアを舞台に、ガリバルディの統一運動という歴史的転換期を背景とし、後者は20世紀初頭のヴ...
コラム・アート概論

コラム13:出会いの設計 ― 宿らせない表現のための覚書

完成ではなく、遭遇としての作品 作品は、完成した瞬間に閉じるのではなく、鑑賞者との出会いの瞬間に開く。この視点の転回は、近年の絵画や現代美術の受容を考えるうえで、ますます重要になっている。主題やコンセプト、社会的メッセージの...
アート

カツカレーカルチャリズム画家列伝84 ~大竹伸朗 編

大竹伸朗 ― 盛りすぎた世界の体温 出典:Artpedia/大竹伸朗 スクラップブックという出発点 ― 幕ノ内マシマシの誕生 大竹伸朗が美術の文脈で広く知られるようになった契機は、1970年代末から継続的に制作されたスク...
アート

カツカレーカルチャリズム画家列伝83 ~大岩オスカール 編

揺らぎのユートピア ― 大岩オスカールと未決定の世界線 出典:Artpedia/大岩オスカール 寓意を拒む風景 近年、大岩オスカールの絵画はしばしば「不思議」「寓意的」「終末的」といった言葉で語られてきた。しかし彼の作品...
音楽

まかないからメニューへ ― ビョークの一時代 ~ ポストとホモジェニックのあいだ

ビョークをどこで聴き終えるか ビョークという音楽家は、しばしば「すべてを通して聴くべき存在」として語られる。デビューから最新作までを一本の進化の物語として捉え、実験性の深化やコンセプトの高度化を評価軸に置く語り方である。しか...
アート

カツカレーカルチャリズム画家列伝82 ~バーニー 編

マシュー・バーニー ― 硬化する身体と幸福停止の美学 マシュー・バーニーの作品は、強い造形的印象や神話的なモチーフにもかかわらず、鑑賞後に明確な理解や快楽を残さない。そのわかりにくさは、1990年代的シニシズムやゴシック趣味として説...
アート

カツカレーカルチャリズム画家列伝81 ~ファーブル 編

ヤン・ファーブル — 過剰な造形と観念の緊張~カツカレーカルチャリズム以後の視座から 出典:Artpedia/ヤン・ファーブル 骸骨と甲虫 — 文化としての不気味さ ヤン・ファーブルの作品に対して、多くの観者が最初に抱く...
映画

才能が宿ってしまう身体 ― 「国宝」から考える表現の重さ

映画「国宝」を見ている途中から、マルセル・カルネの『天井桟敷の人々』の記憶が不意に立ち上がってきた。物語の細部が似ているわけではない。呼び起こされたのは、才能や芸が人に与える自由ではなく、むしろ人を縛り、消耗させ、個人の人生を超え...
映画

知覚が先に動いてしまう映画 ― 新海誠作品とアニメーションという前提

先日あらためて新海誠の『君の名は。』『天気の子』を見た。これらの作品には、明確な主張がある。世界は分岐しているが、選ばれるのはこの身体、この関係、この一回であるということ。多世界的な想像力と、どうしようもなく一回性を引き受ける身体...
コラム・アート概論

コラム12:とどめる力としての絵画 ― 流れすぎる世界と身体性

あーとむーす画 アクリル B4 流れすぎる世界の中でとどめること ― AI時代の絵画と身体性 近代以降の表現を振り返ってみると、私たちはいつのまにか、作品が語り、主張し、意味を提示することに慣れてきたことに気づかされる。とりわ...
タイトルとURLをコピーしました