オッド・ネルドラム(1944–、スウェーデン生まれ・ノルウェー)
日常の裏側にある闇
オッド・ネルドラムの絵には、妙な違和感がある。
人物も、岩も、空も、海も、火も、特別なものではない。
それなのに、画面を見ていると、いつもの世界から少しずつ遠ざかっていく。

裸の人間が荒野に立っている。
毛皮をまとった人々が、何かを見張っている。
洞窟のような場所に人間が集まり、遠くには何もない。
そこには都市も、道路も、家も、看板もない。
私たちが普段「現実」と呼んでいるものを支えているものが、一枚ずつ剥がされている。

ネルドラムは1944年、スウェーデンに生まれ、ノルウェーで育った。1960年代に美術を学んだ頃、彼の周囲では抽象絵画やポップアートが新しいものとして受け入れられていた。
しかし彼が強く惹かれたのは、レンブラントやカラヴァッジョだった。
1962年、ストックホルムの美術館でレンブラントの《クラウディウス・キウィリスの陰謀》を見たネルドラムは、それを「暗い世界を覗き込む」ような経験として語っている。

戦後のノルウェーには、古典絵画を学ぶための生きた伝統がほとんど残っていなかった。だから彼にとってレンブラントやカラヴァッジョは、単なる過去の巨匠ではなかった。
失われた技法そのものだった。
ここには、ネルドラムを考えるうえで重要な「地盤の喪失」がある。

近代化によって、それ以前の絵画の習慣が失われる。
戦争によって社会の地盤が揺らぐ。
そして戦後になると、人間を取り巻いていた古い物語や宗教や共同体の感覚も、少しずつ遠ざかっていく。
ネルドラムは、そのたびに失われていくものの底へ戻っていくように見える。
ただし、彼は昔の世界をそのまま復元しようとはしない。

初期には社会的リアリズムにも取り組み、現代の権力や暴力、弱い立場に置かれた人間を描いていた。
ところが1980年代になると、その人物たちは次第に現在の社会から切り離されていく。
《堕落(The Fall)》では、もともとニューヨークの社会的な場面だった構想が、裸の人物たちが荒野にいる夢のような風景へと変化した。

そこから現れるのが、ネルドラム独特の世界である。
荒野。
毛皮。
裸の身体。
洞窟。
火。
霧。
そして、名前のない人間たち。
《夜の警備員(The Night Guard)》の人物たちは銃を持っているが、現代の軍隊には見えない。

彼らは国家や都市に属しているのではなく、ただ荒野の中で何かを守っている。
ネルドラムの公式な説明でも、この時期の人物たちは「名前のないもの」に囲まれ、それを新しく定義しなければならない存在として語られている。
ここで、先ほどのベックリンが思い出される。
アルノルト・ベックリンの《死の島》にも、現実の風景に似たものが並んでいる。

海があり、岩があり、木があり、舟がある。
しかし、それらが組み合わされると、どこにも存在しない場所になる。
ネルドラムにも同じような反転がある。

現実のものだけで描かれているのに、現実ではない。
むしろ、現実のほうが一時的な夢で、この荒野のほうが人間の本来の場所なのではないかと思えてくる。
だからネルドラムの不気味さは、怪物や死体から生まれるものではない。

当たり前の日常のすぐ裏側に、別の世界が最初から存在していたように見えること。
それが怖い。
ヤンセンの闇が個人の内側に沈んでいくものだとすれば、ネルドラムの闇は日常の裏側に開いている。
ベクシンスキが「世界が崩壊したあと」を描くのに対して、ネルドラムは、世界を世界として成立させていた習慣が剥がれ落ちた場所を描いている。
その意味で、彼の古典的な絵画技法は懐古趣味ではない。

レンブラントやカラヴァッジョから受け継いだ暗い光、強い明暗、身体の存在感を使いながら、彼は聖書やギリシャ神話そのものには戻らない。
神話の登場人物ではなく、神話が生まれる前の人間を描く。
あるいは、神話さえ失われたあとに残った人間を描く。
ネルドラムは後にアイスランドへ移り、火山性の荒涼とした風景の中で制作を続けた。そこで再び、人物は社会的な場所から離れ、宇宙のような空間を浮遊するようになる。日常の社会秩序が消えた「void(空白)」の中に人間を置く作品も現れる。
ここまで来ると、彼の絵画は「昔の絵を描く」という話ではなくなる。

近代が人間を包んでいたものを一枚ずつ剥がしていく。
都市を剥がす。
制度を剥がす。
共同体を剥がす。
物語を剥がす。
最後に残るのは、裸の身体と、名前のない風景だけである。
その人間は、こちら側の世界に帰ろうとしているようにも見えない。
むしろ、こちらとは別の時間の中で、何かを考えている。
だからネルドラムの人物を見ると、夢を見ている人間を見ているのではなく、夢の側から現実を見ている人間を、こちらが偶然見てしまったような感覚になる。

古典絵画の技法は、過去へ戻るためではなく、現代の日常のすぐ裏側にある世界を開くために使われている。
そこには、近代以前の人間も、戦争のあとに残された人間も、現代社会からこぼれ落ちた人間も、まだ名前を持たない人間もいる。
現実は一つではない。
私たちが普段現実だと思っているものの、その薄い膜の向こうに、もう一つの世界がある。
ネルドラムは、その膜を破るのではなく、静かにずらして見せる。
彼は皿に、古典絵画の暗い光と、近代からこぼれ落ちた人間を、日常の裏側にある荒野というルーで煮込んだのだ。


コメント