混ぜすぎた美術史 124 ~フリーデンスライヒ・フンデルトワッサー

アート

フリーデンスライヒ・フンデルトワッサー(1928–2000、オーストリア)

正確な世界を、曲線でほころばせる

フリーデンスライヒ・フンデルトワッサーの絵を見ると、最初に目に入ってくるのは色かもしれない。

赤、青、黄色、緑。強い色が画面いっぱいに置かれ、その間を太い線や細い線が曲がりながら走っている。建物も道路も窓も、まっすぐではない。螺旋や小さな形が繰り返され、画面の中で増殖していく。

出典:Artpedia/フリーデンスライヒ・フンデルトワッサー「魂の木のある円形広場の前の人物」

一見すると、とても自由で、楽しげな絵である。

しかし、よく見ると少し変だ。

世界を正確に描こうとしていない。むしろ、正確に描くことそのものを拒んでいるように見える。

出典:Artpedia/フリーデンスライヒ・フンデルトワッサー「都市景観」

これは単なる「下手に描いた形」ではない。フンデルトワッサーは、1948年にウィーン美術アカデミーで短期間学んだ後、エゴン・シーレの作品に強い影響を受けた。1950年にはパリのエコール・デ・ボザールにも入学したが、そこには一日しか在籍しなかった。その後、1950年代のヨーロッパの抽象絵画やタシスムなどを経験しながら、自分自身の絵画をつくっていった。1953年には最初の螺旋を描き、1954年には「トランスオートマティスム」という考えを発表している。

出典:Artpedia/フリーデンスライヒ・フンデルトワッサー「タシスムへのオマージュ」

つまり彼は、美術の外から突然現れた「変わった人」ではない。

むしろ、近代絵画の内部に入り込み、そこにあるルールを自分の手で曲げていった画家だった。

シーレから、もっと広い世界へ

フンデルトワッサーを考えるとき、エゴン・シーレとの関係は重要だ。

シーレの人物は、正確な人体から離れている。身体は細く引き伸ばされ、関節は不自然に折れ、肌の色も現実とは違う。線は身体を説明するためだけにあるのではなく、身体そのものを変形させてしまう。

出典:Artpedia/エゴン・シーレ「ホオズキのある自画像」
出典:Artpedia/エゴン・シーレ「四本の木」

フンデルトワッサーもシーレをかなり意識していた。1948年のシーレ展に強く影響され、1951年には「私はシーレが大好き(I Love Schiele)」という文章を書いている。後年までシーレの作品を身近に置き、1965年には《エゴン・シーレを悼む》という作品も制作している。

出典:Artpedia/フリーデンスライヒ・フンデルトワッサー「エゴン・シーレを悼む」

ただし、フンデルトワッサーが受け継いだのは、シーレの人物の形をそのまま真似することではなかった。

もっと根本にある、

「世界は、正確に再現しなくてもよい」

という感覚だったのではないか。

シーレでは身体が歪む。

フンデルトワッサーでは、その歪みが建物や道路や地面にまで広がっていく。

窓は揃わない。壁は曲がる。道路は蛇行する。地面は水平ではない。

身体だけではなく、世界そのものが少しずつ変形していく。

直線から逃げる

フンデルトワッサーは1953年、「直線は文明を破滅へ導く」という文章を書いた。

出典:Artpedia/フリーデンスライヒ・フンデルトワッサー「大いなる道」

もちろん、直線を一本も使ってはいけないという単純な話ではない。彼が批判していたのは、定規、コンパス、均一な尺度によって世界を整理し、自然や身体まで合理的な形に押し込めてしまう態度だった。

彼にとって直線は、自然の中にある生命の動きとは違う、人工的で均質な線だった。

だから曲線が重要になる。

曲線は、植物の茎のように伸びる。根のように分かれる。水のように流れる。身体のように膨らみ、縮む。

ここには、ガウディを思わせる感覚もある。

出典:Artpedia/アントニ・ガウディ「バトリョ邸」

ガウディの建築でも、建物は単純な幾何学によって組み立てられるのではなく、植物や骨、枝など自然の構造を思わせる曲線によって動き始める。

出典:Artpedia/アントニ・ガウディ「グエル公園」

フンデルトワッサーもまた、「正しい形」より「生きている形」を信用する。

出典:Artpedia/フリーデンスライヒ・フンデルトワッサー「アーベンスベルク美術館のデザイン」

だから彼の曲線は装飾ではない。

曲がっているから美しいのではなく、曲がることそのものが、世界を生きたものに戻す行為になっている。

出典:Artpedia/フリーデンスライヒ・フンデルトワッサー「植物建築」

絵画が、植物のように増殖する

この感覚がさらに進むと、フンデルトワッサーの画面には「奥行き」がなくなってくる。

普通の遠近法なら、手前、中間、奥という空間がある。

しかしフンデルトワッサーの絵では、赤い色の上に青い形があり、その隣から黄色い線が伸び、そこに螺旋が現れ、さらに小さな形が重なっていく。

前後関係よりも、増殖関係が生まれている。

出典:Artpedia/フリーデンスライヒ・フンデルトワッサー「ほとんど円」

これはレームデンの「地層」とも違う。

レームデンでは、世界が時間によって積み重なり、地面がそのまま地球の歴史になる。

フンデルトワッサーでは、色や線が生き物のように増えていく。

だから彼の「層」は地質学的というより、生命的だ。

一枚の絵が完成したというより、描いている途中で何かが増え続け、そのまま画面になったように見える。

1952年には道路のひび割れやゴミ、包装紙、チケットなどを集めたコラージュ《街路の価値(The Values of the Street)》も制作している。彼は舗道のひびや偶然できた線、色、形を観察し、それらを創作のきっかけにしていた。つまり、完成された「美しい形」を探すというより、すでに世界の中に生まれている不規則な形を拾い上げていたのである。

出典:Artpedia/フリーデンスライヒ・フンデルトワッサー「街路の価値」

ここにも、彼の絵画の秘密がある。

絵をゼロから設計するのではない。

世界にあるほころびを見つけ、そこから線を伸ばしていく。

「普通ではない」ことを、絵画の方法にする

だからフンデルトワッサーは、アウトサイダー・アートのように「美術の外側にいた人」と考えると少し違ってくる。

彼は美術館や展覧会、美術家のネットワークから離れていたわけではない。むしろ1950年代から国際的に活動し、ヨーロッパや日本を含むさまざまな場所で作品を発表していった。

それでも、作品には「普通の美術ではない」という感じが残る。

出典:Artpedia/フリーデンスライヒ・フンデルトワッサー「バルカン半島の上のイリナランド」

その理由は、美術制度の外にいたからではない。

美術の中にいながら、美術が当然としてきた「正確さ」「直線」「均質な空間」「完成された形」を信用しなかったからだ。

この意味では、シーレから戦後の表現主義、さらに後の新表現主義へと続いていく問題とも響き合う。

身体や感情を、整った形式の中に閉じ込めない。

世界を、そのまま正確に再現するのではなく、自分の身体を通過した形に変える。

フンデルトワッサーはそれを、激しい筆触ではなく、曲線と色の増殖によって行った。

出典:Artpedia/フリーデンスライヒ・フンデルトワッサー「血の雨が日本の水に降り注ぐ」

新表現主義が身体や神話や強い色彩を再び絵画の前面に出していったとすれば、フンデルトワッサーはその少し前に、もっと静かで奇妙な方法で、絵画そのものを生き物に戻そうとしていたとも言える。

彼の絵を見ると、建物も、道路も、色も、線も、植物のように少しずつ形を変えている。

世界を描いているのではない。

世界が曲がりながら、絵の中で生き始めている。

彼は皿に、シーレから受け取った身体の歪みと、ガウディを思わせる生命的な曲線、戦後の色彩と、増殖する画面を、「正確な世界をほころばせる」というルーで盛ったのだ。

出典:Artpedia/フリーデンスライヒ・フンデルトワッサー「道の果て」

カツカレーカルチャリズム画家列伝38 ~フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー 編 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ

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