混ぜすぎた美術史 79 ~松本俊介

アート

松本俊介(1912–1948、日本)

静かな都市、傷ついた近代――人間をもう一度見つめるために

戦後日本の美術を語るとき、松本俊介ほど静かな画家はいない。

幼い頃に聴覚を失った彼は、世界を音ではなく、形や光、距離によって受け止めた。その感覚は、透明な空気をまとった画面となって現れる。

出典:Artpedia/松本俊介「Y市の橋」

代表作《立てる像》では、一人の人物が静かに立っている。英雄のような力強さも、敗者のような悲壮感もない。ただ一人の人間が世界の中に存在している。その姿は、戦争という巨大な時代の中で失われかけた「個人」という存在を、もう一度見つめ直そうとする意志のようにも映る。

出典:Artpedia/松本俊介「立てる像」

また、《Y市の橋》では、橋や建物が整然と描かれながらも、都市にはどこか張り詰めた静けさが漂っている。近代都市への憧れと、その中で生きる人間の孤独。都市は発展の象徴であると同時に、人間を沈黙へと包み込む空間でもあった。松本は、その両方を否定することなく、一枚の画面の中に置いている。

出典:Artpedia/松本俊介「Y市の橋」

彼は戦争そのものを劇的に描いた画家ではない。むしろ戦争によって揺らいだ「人間の感覚」を描こうとした画家だった。

西洋近代絵画を深く学びながらも、その様式を模倣することには終わらなかった。近代という思想を日本人としてどう生きるのか。その問いは彼の作品の根底に流れている。

出典:Artpedia/松本俊介「無音の風景」

しかし、今日あらためて彼の作品を見ると、私たちが心を動かされるのは、西洋近代が掲げた「主体」の思想そのものではない。人物と風景のあいだに流れる静けさ、画面を満たす透明な空気、言葉にならない孤独や詩情である。そこには、理念をそのまま定着させるのではなく、感受性へと溶け込ませていく、日本独自の受容のあり方が静かに表れている。

出典:Artpedia/松本俊介「街の景色」

一方で、その思想はまだ完成された形式へと結晶してはいない。画面には情緒や衝動が残り、認知が形式へと変わろうとする、その途中の揺らぎが感じられる。それは未熟ということではない。むしろ世界を一つの答えへ収束させず、なお考え続けようとする誠実さでもある。同時に、その揺らぎは西洋近代の理念が、日本の風土や感性の中で詩情や空気へと翻訳されていく瞬間でもあった。三十六歳という早すぎる死は、その先にどのような絵画へ到達したのかという想像を、今なお私たちに残している。

出典:Artpedia/松本俊介「構図」

松本俊介は、近代と人間、西洋と日本、静けさと衝動という異なる世界を、一つへ溶かし合わせることはしなかった。彼はそれらを一枚の皿の上に並べ、それぞれの味わいを保ったまま共存させた画家だったのである。そしてその画面には、近代という思想だけでは語り尽くせない、日本的な情緒や空気が静かに息づいている。そのことこそが、時代を越えてなお私たちが彼の絵に惹かれ続ける理由なのかもしれない。

出典:Artpedia/松本俊介「自画像」

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