第二次世界大戦後、美術の中心はパリからニューヨークへ移った。
巨大なキャンバスに身体の痕跡を刻む抽象表現主義は、新しい時代の象徴として世界的な評価を獲得する。美術館や大学、批評家たちはその動向を支え、美術はますます専門化され、理論化されていった。

しかしその頃、美術は別の方向にも進み始めていた。
20世紀初頭、マルセル・デュシャンは「何が芸術なのか」という問いを投げかけた。既製品を作品として提示したレディメイドは、美術の対象そのものを拡張した。

一方、パウル・クレーは、子どもの絵や民族芸術、素朴な表現の中に、制度化された美術とは異なる創造の源泉を見出していた。

戦後になると、その二つの流れはさらに広がっていく。
芸術とは何か。
そして、誰が芸術を作るのか。
ジャン・デュビュッフェは後者の問いを徹底した作家だった。彼は美術教育や文化的洗練の外側にある表現に注目し、精神病院の患者や独学の制作者による作品を収集した。そしてそれらを「アール・ブリュット(生の芸術)」と名付けることで、美術史の外部に存在していた創造の力を可視化した。

彼が見出したのは、新しい様式ではない。
美術という境界そのものだった。
一方、ヘンリー・ダーガーは理論や運動とは無縁の場所で生きていた。病院の清掃員として働きながら、彼は誰にも評価されることなく、膨大な物語と絵画を制作し続けた。少女たちが戦う幻想世界、終わることのない戦争、無数の登場人物たち。その巨大な物語宇宙は、生前ほとんど誰にも知られることがなかった。

デュビュッフェが美術の外部を発見した人だとすれば、ダーガーは最初からその外部に住んでいた人だった。
ここで美術史はひとつの分岐点を迎える。
ひとつは、デュシャン以後の流れである。芸術とは何かという制度そのものを問い直し、やがて具体やフルクサス、コンセプチュアルアートへと向かう道。
もうひとつは、デュビュッフェやダーガーに象徴される流れである。制度や理論の外側にある想像力へ目を向け、人間はいかに世界を創造するのかを見つめる道。
振り返れば、美術史にはこうした作家たちが繰り返し現れている。
ボスの幻想世界。

若冲の生命宇宙。

ルソーの夢のジャングル。

シャガールの空を飛ぶ恋人たち。

彼らは時代や様式を超えながら、それぞれ独自の世界を発明してきた。
デュビュッフェとダーガーもまた、その系譜の中にいる。
デュビュッフェはその存在を見出し、ダーガーはその存在そのものとして生きた。

彼らが示したのは、美術史の中心ではない。
制度や理論よりも先に存在する、人間が世界を想像し、発明しようとする根源的な衝動なのである。


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