混ぜすぎた美術史 60 ~アンドレ・マッソン

アート

アンドレ・マッソン(1896–1987、フランス)

傷ついた無意識 ― 自動記述から戦争の時代へ

マッソンの作品には、シュルレアリスムが持っていたもっとも根源的な欲望が現れている。

それは「考える前に描く」という欲望である。

彼は意識による統制をできるだけ手放し、手の動きに任せて線を走らせる「オートマティスム(自動記述)」を積極的に実践した。画面には予め決められた構図はなく、線は迷いながら伸び、絡まり、分岐し、やがて人物や動物や植物を思わせる形へ変化していく。

出典:Artpedia/アンドレ・マッソン「オートマティック・ドローイング」

そこでは絵は描かれるというより、発見されるものに近い。

しかしマッソンは、しばしば語られるほど純粋な自動記述の画家ではない。彼の画面にはキュビズムに由来する構成感覚が残り、神話や戦争、欲望をめぐる物語性も繰り返し現れる。偶然に身を委ねながらも、その中から意味やイメージを掘り起こそうとする姿勢が常に存在していた。

たとえば《魚の戦い》では、砂や糊を用いた荒々しい画面の中に魚のような生物が絡み合い、互いを傷つけ合う。海中の光景にも見えるが、同時に戦場の比喩にも見える。生と死、生成と破壊がひとつの場に共存しているのである。

出典:Artpedia/アンドレ・マッソン「魚の闘い」

また1930年代以降の作品では、人体はしばしば断片化され、植物や動物と混ざり合う。そこでは人間という統一された主体は崩れ、生命そのものが流動するエネルギーとして描かれている。身体はもはや境界を持たない。世界と接続し、変形し、他の存在へと移り変わっていく。

この感覚の背後には、第一次世界大戦の経験があった。若きマッソンは戦場で重傷を負い、その体験は生涯にわたって作品へ影を落とした。理性や秩序への信頼が崩れ去った時代において、彼は無意識や偶然の中に新しい創造の可能性を見出そうとしたのである。

出典:Artpedia/アンドレ・マッソン「ゲーテまたは植物の変態」

しかしマッソンの絵画は、単なる夢の表現ではない。

そこには常に暴力と欲望が潜んでいる。

生命は誕生するが、同時に傷つく。

身体は解放されるが、同時に引き裂かれる。

彼の無意識は穏やかな内面ではなく、生と死が絶えずせめぎ合う場所だった。

出典:Artpedia/アンドレ・マッソン「パシパエ」

そして興味深いことに、マッソンは最後までひとつの様式へ安住しなかった。キュビズム、シュルレアリスム、神話画、風景画を往復しながら、その都度異なる表現を試みている。後年の南フランスの風景には、初期作品に見られた緊張や暴力性がやや和らぎ、世界そのものの流れを受け入れるような穏やかさも現れる。

それは答えへ到達したというより、探し続けた末にたどり着いた静けさだったのかもしれない。

出典:Artpedia/アンドレ・マッソン「木と風景」

カツカレーカルチャリズムの視点で見れば、マッソンは皿の上に「人間」と「自然」、「欲望」と「暴力」、「夢」と「戦争」を同時に盛りつけた画家だったと言えるだろう。それらは決して完全には混ざり合わない。しかし境界を失ったまま共存することで、20世紀という不安定な時代の感覚を鮮やかに映し出しているのである。

出典:Artpedia/アンドレ・マッソン「迷宮」

カツカレーカルチャリズム画家列伝25 ~アンドレ・マッソン 編 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ

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