コラム30:鉄と岩の秘密基地 ― もの派、無印良品、すみっコぐらし

コラム・アート概論

日本のモダニズムには、どこか不思議な二重性がある。

一方では、抽象化、整理、余白、無機質な静けさへ向かう感覚がある。
しかし同時に、その空間は完全に冷たくなり切らない。

そこにはいつも、どこか「小さな居場所」のような感覚が残されているのである。

この感覚は、岡鹿之助、奥村土牛、熊谷守一たちが切り開いた、「親密化するモダニズム」の延長線上にある。

出典:Artpedia/奥村土牛「猫」

彼らは近代的な単純化や抽象化を、「世界を分析し支配するための技術」ではなく、「世界との距離をやわらかく保つための技術」へ変換していった。

そしてこの感覚は、戦後日本の美術やデザイン、さらにはキャラクター文化にまで、地下水脈のように流れ込んでいく。

出典:Artpedia/熊谷守一「雨来」

その転換点のひとつが、1960年代末から70年代にかけて登場した「もの派」である。

李禹煥や関根伸夫らによって展開されたもの派は、石、鉄、木、紙、ガラスといった素材を、過剰に加工することなく空間へ配置した。

そのため、もの派はしばしば「日本版ミニマリズム」や「東洋的コンセプチュアリズム」と説明されてきた。

出典:Artpedia/李禹煥「関係項」

しかし彼らの関心は、単なる無機質な造形ではない。

もの派が見つめていたのは、「もの」と「もの」、「もの」と「空間」、「もの」と「身体」のあいだに生まれる関係そのものだった。

たとえば李禹煥は、石と鉄板を対置しながら、素材そのものを彫刻的に支配しようとはしなかった。
そこでは石も鉄も、「人間が意味を与えるための素材」というより、すでに世界の内部で存在しているものとして扱われている。

出典:Artpedia/李禹煥「四つの石と四つの鉄によるリラトゥム」

また関根伸夫の《位相―大地》では、地面を円筒状に掘り抜き、その土を隣へ置くことで、「自然」と「人工」、「内部」と「外部」の境界そのものが静かに揺らぎ始める。

出典:Artpedia/関根伸夫「位相―大地」

重要なのは、ここで世界が「征服される対象」になっていないことである。

もの派において、人間は世界を完全に整理しない。
むしろ石や鉄や木と同じ場に身を置き、それらとの距離や気配を感じ取ろうとする。

この感覚は、西洋モダニズムの一部が持っていた、純化や幾何学化、分析や制御とは少し異なる方向を向いている。

日本では抽象化が、ときに世界との摩擦を減らし、対象との距離を縮め、「ただそこにある」状態を保つ方向へ働くことがある。

そのため、日本のミニマリズムは完全な無機質にはならない。

静かなコンクリート空間。
鉄と岩。
整理された余白。

出典:Artpedia/菅木志雄「依存差」

しかしその片隅には、小さな動物や丸い置物やキャラクターが、自然に居場所を持っている。

この感覚は、現代日本において非常に象徴的なかたちで現れている。

たとえば無印良品の空間には、素材感や余白、匿名性を重視する静かなミニマリズムがある。
だがそれは、西洋的なストイックさとは少し違う。

出典:Artpedia/無印良品

そこには生活へ馴染む柔らかさや、「ほどよい空白」がある。

そしてその空間は、驚くほど自然に、すみっコぐらしのような世界観と共存してしまう。

「すみっこにいたい」。

この感覚は単なるキャラクター設定ではない。

出典:Artpedia/すみっこぐらし

中心ではなく、端にいること。
強く主張しないこと。
小さな居場所を確保すること。

それは、日本文化の中で長く育まれてきた、「世界とやわらかく共存する感覚」の延長線上にある。

だから日本では、禅的静けさ、素材へのフェティッシュ、小さな存在への愛着、ミニチュア感覚、“すみっこ”への感受性が、意外なほど矛盾なく繋がっている。

出典:Artpedia/ちいかわ

石を静かに見つめる感覚と、小さなキャラクターを愛でる感覚は、一見まったく別のものに見える。
しかしそのどちらにも、「対象との親密な距離を保ちたい」という欲望が流れている。

そう考えると、岡鹿之助、奥村土牛、熊谷守一から、もの派、無印良品、すみっコぐらしへ至る流れは、日本的モダニズムのもうひとつの系譜として見えてくる。

それは、強さや速度によって世界を更新するモダニズムではない。

鉄と岩のあいだに、小さな居場所をつくるためのモダニズムなのである。

出典:Artpedia/李禹煥「関係項」

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