混ぜすぎた美術史 47 ~奥村土牛

アート
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奥村土牛(1889–1990、日本)

やわらかな抽象

20世紀の日本美術において、奥村土牛はしばしば「穏やかな日本画家」として語られる。
しかし、その静けさの内部では、実はかなり奇妙なことが起きている。

彼の絵画には、近代絵画に典型的な劇的構図や強烈な自己主張がほとんど存在しない。
そこに描かれるのは、牛、鳥、魚、花、山、月といった、ごく身近で単純な対象である。

出典:Artpedia/奥村土牛「兎」

だが重要なのは、それらが単なる写生として描かれているわけではないという点である。

土牛の描く牛や鳥は、現実の姿を保ちながらも、どこか丸く、柔らかく、少し“記号”のように整理されている。
細部は省略され、形は静かに単純化されていく。しかしそれによって対象は冷たい図形になるのではなく、むしろ親しみやすさを増していく。

出典:Artpedia/奥村土牛「牛」

つまり土牛の絵画では、「抽象化」が理論的な方向ではなく、感情的な方向へ働いているのである。

ここが非常に特徴的である。

20世紀前半、多くの近代絵画は、構造や形式、あるいは強い表現を追求していた。
しかし土牛は、そうした“強さ”の競争から少し距離を取りながら、別の感覚を育てていく。

彼の単純化は、世界を分析したり解体したりするためのものではない。
むしろ対象を人間の身体へ近づけ、安心感や穏やかさへ変えていくための操作なのである。

出典:Artpedia/奥村土牛「兎」

そのため彼の絵画には、不思議な「やさしさ」が漂う。

もちろん、土牛自身が後の「カワイイ文化」を意識していたわけではない。
しかし彼の絵画には、対象を威圧的な崇高さから解放し、触れられそうな距離まで引き寄せる感覚がある。

それは現代のキャラクター文化にもどこか通じている。

出典:Artpedia/奥村土牛「水連」

実際、彼の描く動物や花には、後の日本文化に広がっていく「親密な単純化」の萌芽を見ることができる。
形を整理しながら、同時に感情移入しやすい存在へ変えていく感覚である。

この方向性は、日本文化に古くから存在していた余白や省略の美学とも深く繋がっている。
俳句や琳派、水墨画にも見られるように、日本には「すべてを描き切らず、気配として残す」感覚が長く存在していた。

出典:Artpedia/奥村土牛「醍醐」

しかし土牛は、それを単なる伝統として繰り返したわけではない。
近代的なデザイン感覚や整理された画面構成を通して、その感覚を現代的な親密さへ変換していったのである。

そこでは日本画、デザイン感覚、生活感情、そして後の「カワイイ」にも通じる柔らかな抽象化が、静かに混ざり合っている。

出典:Artpedia/奥村土牛「鳴門」

これはカツカレーカルチャリズム的に言えば、刺激の強い異国料理をそのまま並べるのではなく、素材の角を少しずつ丸めながら、身体に馴染む温度へ調整していくような感覚に近い。

奥村土牛は、近代絵画の強い理念や構造を、日本的な余白と親密さの出汁でゆっくり煮込み、「やさしさ」そのものを新しい一皿として食卓へ差し出したのである。

出典:Artpedia/奥村土牛「蓮池」

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