国吉康雄(1889–1953、日本/アメリカ)
ずれた身体のサーカス
20世紀前半、多くの日本人画家がヨーロッパへ向かった一方で、国吉康雄はアメリカへ渡った。
しかし彼もまた、単純に「西洋化」を目指した画家ではない。
むしろ国吉の絵画には、どこにも完全には属しきれない身体感覚そのものが刻み込まれている。

1906年、16歳で渡米した国吉は、移民としてアメリカ社会へ入っていく。
だが当時のアメリカでは、日本人は依然として“異邦人”であり、排外主義や人種的偏見も強く存在していた。
つまり彼は、近代の中心へ向かいながら、同時にそこへ完全には入り込めない立場に置かれていたのである。
この「ずれ」は、彼の絵画に独特の不安定さを生み出している。

国吉の描く人物や動物たちは、どこか歪み、アンバランスで、ユーモラスでありながら少し不穏である。
身体は柔らかく変形し、遠近法は不安定になり、画面にはサーカスや大道芸のような祝祭感と孤独感が同時に漂う。
そこでは近代的な合理空間が、静かに崩されている。
彼の画面には、アメリカン・フォークアート、ヨーロッパ近代絵画、日本的平面感覚、移民としての違和感、都市的大衆文化 が同時に流れ込んでいる。
しかも重要なのは、それらが美しく統合されていないことである。

国吉の絵画は、混ざりながら少しずつ噛み合わない。
人物は愛嬌を持ちながら不気味で、牧歌的風景はどこか不安を帯びている。
その“不一致”こそが、彼のリアリティだった。
これは単なる作風ではない。
むしろ国吉の絵画では、「アメリカ人になること」と「異邦人であり続けること」が、同時進行しているのである。

彼はアメリカ美術界で成功しながら、第二次世界大戦中には敵性外国人として監視対象にもなった。
しかも彼は日本軍国主義に反対し、アメリカ側の戦時プロパガンダにも協力している。
しかし、それでも彼は完全な「アメリカ人」にはなれなかった。

つまり国吉は、日本人でありながら、
日本から距離を取り、
アメリカへ同化しようとしながら、
なお異物として残り続けた 存在だったのである。
そのため彼の絵画には、「帰属の不安」が独特のユーモアへ変換されたような感覚が漂う。

サーカス、ピエロ、動物、巨大な女性、歪んだ身体――それらは単なる幻想ではない。
そこには、「自分がどこに属しているのかわからない」という近代移民の感覚が滲み出ている。
これはカツカレーカルチャリズム的な構造そのものである。

国吉は、日本文化を純粋な形で保持したわけでも、完全にアメリカ化したわけでもない。
むしろ彼は、移民としての違和感そのものを画面の内部で混ぜ続けた。
その結果生まれたのは、整ったフルコースではなく、フォークアート、モダニズム、移民文化、ユーモア、不安、大衆性 が一つの皿の上で少しずつ噛み合わないまま共存する、奇妙で魅力的な料理だった。
国吉康雄は、アメリカという巨大な鍋の中で煮込まれながら、日本の平面感覚と移民の孤独、都市のユーモアと不安定な身体感覚を混ぜ合わせ、少し歪んだカツカレーとして食卓へ差し出したのである。

PSコラム:混ざり切らないアメリカ ― 国吉康雄とベン・シャーン
国吉康雄 の絵を見ていると、ときどき別の画家の気配が重なる。
その一人が、ベン・シャーン である。

実際、両者の画面にはどこか似た空気が漂っている。
人物は少し歪み、線は揺れ、どこか素朴で、漫画のようでもありながら、不思議な緊張感を持っている。
そこには洗練されたモダニズムというより、路上、ポスター、民衆文化、フォークアート、移民の身体感覚 のようなものが混ざり込んでいる。
しかも二人とも、「アメリカ近代」の中心にいながら、その中心へ完全には同化していない。

国吉は日本人移民であり、ベン・シャーンはリトアニア系ユダヤ移民だった。
つまり彼らは、アメリカを内部から見つめながら、同時にどこか外側にも立っていた。
この“半分内側で、半分外側”という感覚は重要である。
なぜならそこでは、アメリカ社会は安定した共同体としてではなく、少しずつズレたものの集積として見えてくるからだ。
そのため二人の絵画には、愛着、ユーモア、社会批評、不安、孤独 が同時に存在している。

人物たちはどこか親しみやすい。
しかし同時に、完全には安心できない。
それは、彼ら自身が「どこにも完全には属しきれない身体」だったからでもある。
ここでは近代アメリカそのものが、一枚岩の文化としてではなく、多民族的で混ざり切らない空間として現れている。

これはカツカレーカルチャリズム的に言えば、“完成された洋食”ではない。
さまざまな文化、言語、記憶、訛りが、一つの皿の上で少しずつ噛み合わないまま共存している状態である。
だから国吉康雄とベン・シャーンの絵には、妙な温度が残る。
それは、均質化されたモダニズムではなく、移民たちの手垢や違和感が混ざり込んだ、“崩れたアメリカ”の味なのである。

カツカレーカルチャリズム画家列伝16 ~国吉康雄、奥村土牛 編 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ

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