XTC『Black Sea』― プレモダンの幸福

音楽

制度を透過して鳴る音

XTCの「ブラック・シー」を聴いていると、次から次へと新しいアイデアが現れて、アルバム全体がとても豊かに感じられる。曲ごとに表情が違い、展開や音の質感にも変化があるのに、不思議と難しさや構えた感じはなく、ただ楽しく聴き続けることができる。

出典:Artpedia/XTC「ブラック・シー」

この“構えなくてよさ”はどこから来ているのだろうか。ロックを聴いているとき、私たちは「そもそもロックって何だろう」と考えることがあまりない。ギターとドラムが鳴っていれば、それだけで自然にロックとして受け取ってしまう。

このアルバムでも同じで、曲ごとにさまざまな工夫や変化があるにもかかわらず、「ロックという枠そのもの」を疑う感じはほとんどない。あくまでロックの中で自由に遊んでいる。

出典:Artpedia/XTC

だからこそ、聴いていて変に構える必要がないし、「なぜこれをやっているのか」と考え込むこともない。ただ次々と出てくるアイデアの面白さや、音の楽しさをそのまま味わうことができる。

ここで起きているのは、変化や新しさがあっても、それがすべて「ロックという前提の内側」で完結している、という状態である。ロックという枠組み自体は意識されず、ごく自然なものとして使われている。

出典:Artpedia/XTC

言い換えれば、この作品では制度は問題として立ち上がらず、透明な前提として機能している。だから表現はその枠組みに縛られるのではなく、むしろその中で自由に動くことができる。

この状態は、「プレモダンの幸福」と呼びうるかもしれない。表現の前提が疑われる以前、あるいは疑う必要がないほどに身体化されている状態。そこでは作ること自体がそのまま肯定され、形式は制約ではなく、自由を生み出すための環境として働く。

出典:Artpedia/XTC

同じような感覚は、ジャズのハードバップ期にも見出すことができる。
たとえば アート・ブレイキー や ホレス・シルバー の演奏では、ブルースやスタンダード、ソロの回し方といった枠組みが完全に身体に入っている。だからそれを疑う必要がなく、その中でいくらでも変化や遊びを生み出すことができる。

出典:Artpedia/アート・ブレイキー「モザイク」

ここでも形式は外から与えられた制約ではなく、動きを生み出すための土台として働いている。だから音は力まず、結果としてとても豊かで、楽しげに響く。

出典:Artpedia/ホレス・シルバー「トーキョー・ブルース」

重要なのは、この「疑いのなさ」が未熟さではないという点である。むしろそれは、制度を深く理解し、使いこなしているからこそ成立している。複雑な工夫や試行錯誤は内部で消化され、その痕跡は表面にはほとんど現れない。

その結果として現れるのが、あの軽やかさであり、「ただ楽しい」と感じられる感覚である。

しかしこの状態は長くは続かない。やがて表現は、自分が依って立つ前提そのものに目を向けるようになる。ロックは自己言及的になり、ジャズは形式を解体し、美術は制度そのものを問い始める。

出典:Artpedia/XTC

そこではもはや、「ただ鳴らす」「ただ作る」ということは自明ではなくなる。表現は常に、自分が何をしているのかをどこかで意識せざるをえなくなる。

だからこそ、「ブラック・シー」のような作品に感じられる豊かさは特異である。それは初期衝動の無垢さではなく、十分に成熟したあとに一時的に現れる状態――制度を意識せずに使うことができた、稀有なバランスの上に成り立っている。

出典:Artpedia/XTC

この視点から見ると、その後に現れる「混成の制度化」や「メタ化された表現」は、自由の拡張であると同時に、この種の幸福の喪失としても見えてくる。すでに意識化され、整理された世界の中では、かつてのように無自覚に制度を使うことはできない。

それでもなお、このような状態が確かに存在していたという事実は、現在の表現を考えるうえで一つの手がかりになる。どこまで意識化された世界の中で、再び「疑いのなさ」に近い感覚を取り戻せるのか――その問いは、静かに残り続けている。

軽やかさの条件 ― 制度の内側で生まれる豊かさ

このような状態は、美術においても見出すことができる。たとえばエドゥアール・マネは、既存の絵画制度の中にとどまりながら、その見え方をわずかにずらすことで、新しい感覚を生み出した。

出典:Artpedia/エドゥアール・マネ「草上の昼食」

構図や主題は伝統に依拠しているにもかかわらず、画面にはどこか軽やかな違和感があり、それが結果として新しさとして立ち現れる。その軽やかさは、当時流入していた日本の版画的な平面性とも響き合いながら、異なる視覚が自然に入り込むことで生まれている。

出典:Artpedia/エドゥアール・マネ「オランピア」

一方でピエール・ボナールの絵画には、より感覚的な豊かさがある。日常的なモチーフを扱いながら、色彩や空間は柔らかく変化し、画面全体に広がりと奥行きが生まれている。そこでは固有色に縛られない光や感覚に基づいた色彩が、独自の響きを生み出しており、結果として画面には穏やかな連続性と柔らかさが保たれている。制度への強い批判や問題提起は見られず、むしろ描くことそのものが自然に続いていくような流れがある。

出典:Artpedia/ピエール・ボナール「浴室の裸婦」

両者に共通しているのは、制度の外へ出ようとするのではなく、その内側にとどまりながら、結果としてズレや豊かさが生まれている点である。それは意識的に何かを否定したり、乗り越えたりする運動というよりも、むしろ異なる要素や感覚が自然に入り込み、変化として現れてくる状態に近い。

出典:Artpedia/ピエール・ボナール「ヴェルノネのテラス」

このあり方は、XTCの音楽にも通じている。彼らの作品では、ポップやパンク、さらにはフォーク的な感覚などが明確に「引用」されるのではなく、あくまで自然な響きとして共存している。また音色やアレンジの変化も、理屈としてではなく、聴覚的な広がりや感触として現れる。

だからこそ、その表現は重くならず、どこか開かれていて、聴き手や見る者にとっても構えずに受け取ることができる。この軽やかさと豊かさの共存は、制度を透過した状態において初めて現れる感覚だと言えるだろう。

出典:Artpedia/XTC

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