アンリ・ルソー(1844–1910、フランス)
純粋幻想とカツカレー的自由
ポール・セザンヌが形と構造の秩序を探り、
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが激情と色彩で世界を揺さぶった19世紀末、西洋絵画にはもうひとつ、異なる道があった。
それが アンリ・ルソー である。

ルソーの絵は一目で独特だ。
密生するジャングル、奇妙な動物、静まり返った空気。そこにあるのは観察された自然というより、内側で組み替えられた世界である。
実際、彼はジャングルをほとんど見ていない。
彼の素材は、植物園や博覧会、図鑑、動物園といった断片的な視覚だった。
それらが記憶の中で混ざり合い、「ジャングル」という幻想の空間になる。
つまり彼の絵は、自然の再現ではなく、イメージの混成によって生まれている。

そしてこの方法は、今ではむしろ一般的なものになっている。
アニメやゲーム、写真、ネット画像。現代の描き手もまた、すでに加工された視覚を素材に、私的な世界を構築する。部屋で描き、それを Instagram に投稿するような制作は、現実の写しではなくイメージの編集である。
ルソーが例外的に行っていたことは、いまや環境そのものになった。現代は、ある意味で「標準化されたルソー的状況」にある。

彼の画面は、カツカレーの皿に似ている。
白米、カレー、とんかつ、福神漬け。異なる要素が並びながら、一体として成立する。
ルソーのジャングルも同じだ。
植物、動物、人間、空間が不思議な距離で共存し、静かな世界をつくる。そこには秩序があるが、遠近法や写実の規範には従わない。

この自由は当時ほとんど理解されなかった。
税関職員だった彼は、素朴派として笑われることもあった。
しかし20世紀の前衛はそこに可能性を見た。
とりわけ パブロ・ピカソ は彼に惹かれ、「ルソー宴」を開いたことでも知られる。

重要なのは技術ではなく、想像力そのものの力である。
この感覚は江戸絵画とも響き合う。
伊藤若冲 や 曾我蕭白 が既存の様式の外側から独自の視覚を作ったように、ルソーもまた制度の外部から世界を描いた。
中心ではなく、少し外側から生まれる想像力。そこにこそ自由な混成がある。

セザンヌの構造、ゴッホの情熱、そしてルソーの幻想。
19世紀末の絵画はこの三方向へ分岐し、20世紀へ流れ込む。

ルソーの静かなジャングルの奥から、やがてシュルレアリスムの想像力が現れる。
現実と幻想。観察と夢想。
それらが自然に混ざり合うとき、絵はひとつの皿になる。
彼は現実と夢想を、同じ皿に盛ったのである。



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