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レッド・ホット・チリ・ペッパーズ:『Mother’s Milk』『Blood Sugar Sex Magik』『One Hot Minute』『Californication』― 身体・構造・自己神話のあいだで

ロックバンドの軌跡を振り返るとき、もっとも強い光を放つ瞬間は、完成点そのものではない。むしろ完成へと至る直前、制度化が確定する一歩手前の揺らぎに宿る。Red Hot Chili Peppersの1990年前後は、その典型例である。...
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低域と祝祭の拡張 — ヒップホップにおけるセカンドアルバム生成論 ~ ア・トライヴ・コールド・クエスト『The Low End Theory』、カニエ・ウェスト『Late Registration』をめぐって

セカンドという臨界点 セカンドアルバムとは何か。それは単なる二作目ではない。自己紹介の延長でもなければ、完成の予告編でもない。むしろそれは、創造主体が自らの可能性を制御しきれないまま拡張してしまう瞬間、スケールの臨界点に触れ...
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拡張の祝祭 ― セカンドアルバムにおける創造性の遠心力 ~ レッド・ツェッペリン『Led Zeppelin II』とミューズ『Origin of Symmetry』をめぐって

完成以前の幸福 ロック史において「セカンドアルバム」はしばしば試金石とされる。デビュー作の衝動が偶然ではなかったことを証明する場であり、同時に作家性の輪郭が定まり始める地点でもある。しかし、そこには別の局面も存在する。完成さ...
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結晶として投げられる音 ─ プリンス『パレード』カニエ・ウェスト『イーザス』統合の極と解体のスパーク

プリンス カニエ・ウェスト ポップ・ミュージックのある種の輝きは、完成された統一や洗練からではなく、過剰な素材がぶつかり合い続ける状態のなかで生じる。異質なものが溶け合う寸前、あるいはあえて溶け合わないまま保たれる緊張の持続。...
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ソニック・ユース:『Daydream Nation』『Goo』『Dirty』『Experimental Jet Set, Trash and No Star』~ 探り、逸脱、統合の音楽

1970年代後半から1980年代にかけてのニューヨークは、音楽と美術の境界が曖昧な場所だった。クラブやライブハウスにはパンクやポストパンクのバンドが集まり、ギャラリーやDIYスペースでは前衛美術やパフォーマンスが日常的に行われていた。この...
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統合から並置へ ― モス・デフ『The New Danger』を読む

『The New Danger』 正統の内部から現れた柔らかな緊張 1998年にタリブ・クウェリとのユニット、Black Starとして発表されたアルバムは、90年代ヒップホップのなかでも特異な位置を占めている。そこでは政治性...
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円環する感受性 ― 音楽体験と戦後美術の運動

 1980年代から90年代にかけての洋楽体験は、多くの聴き手にとって単なる流行以上の意味を持っていた。それはジャンルの更新というより、表現の駆動原理そのものが切り替わる瞬間に立ち会う経験だったと言える。  マイケル・ジャクソンやプリ...
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理屈より先に、うまい ― トランス以前/以後のロック ~ ドアーズとクーラ・シェイカー、入口を開いてしまった二つの1st

ドアーズ ロックはいつ「場」を失ったのか ロックが強度を持っていた時代とは何だったのか。その問いを立てるとき、しばしば語られるのは政治性や反抗、世代論である。しかし本稿では別の角度から考えたい。ロックが本当に力を持っていた瞬間...
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まかないからメニューへ ― ビョークの一時代 ~ ポストとホモジェニックのあいだ

ビョークをどこで聴き終えるか ビョークという音楽家は、しばしば「すべてを通して聴くべき存在」として語られる。デビューから最新作までを一本の進化の物語として捉え、実験性の深化やコンセプトの高度化を評価軸に置く語り方である。しか...
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デビッド・ボウイとブラック・スター ― 変化をやめたとき、変化は完成する

ブラックスターは例外ではない デヴィッド・ボウイの『Blackstar』は、しばしば「最晩年の奇跡」「死を予見した特別な作品」として語られる。しかし、その特別さを強調しすぎることは、ボウイという存在の本質を見誤らせる危険をは...
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