芸術とは何か―― デュシャンが開いたもう一つの扉
20世紀の美術を振り返るとき、多くの分岐点が存在する。
セザンヌは見える世界を、単純な形や面の集まりとして捉え直した。

ピカソは、その形をさらに分解し、一つの画面の中に複数の視点を共存させた。

マレーヴィチは絵画を純粋な形態へと還元した。

そしてマルセル・デュシャンは、まったく別の問いを投げかけた。
それは「何を描くのか」ではない。
「何が芸術なのか」である。
1917年、デュシャンは既製品の男性用小便器に署名を施し、《泉》として発表した。

作品そのものの造形的な美しさは重要ではなかった。
重要だったのは、それが美術館に置かれたとき、人々はそれを芸術として受け入れるのかという問いだった。
それまでの近代美術では、革新的な作品であっても、その革新は制作の中から生まれていた。
画家や彫刻家は、手を動かし、試行錯誤を繰り返しながら、自らの感覚を鍛え、新しい表現を切り開いてきた。

しかしデュシャンは、制作そのものではなく、「芸術とは何か」という制度や概念を作品化した。
この転換は、美術の価値の重心を大きく動かした。
作品をつくることだけではなく、その作品がなぜ芸術なのかを考えること自体が、美術の営みとなったのである。

その結果、美術はこれまで以上に多様な創造のあり方へと開かれていった。
高度な技術や長年の修練だけでなく、新しい視点や問いそのものが創造の出発点になり得るようになったからである。
創造へ至る道筋は、それまで以上に多様になった。
それは同時に、手を動かし、失敗と修正を繰り返しながら美しさを探り、自らの認知を育てていくという長い制作の時間が、美術を支える唯一の価値基準ではなくなったことも意味していた。

ボスや若冲、ルソー、シャガール、そしてダーガーが、それぞれ独自の世界を発明した作家だとすれば、デュシャンは世界を描き換えたのではなく、芸術を成立させるルールそのものを書き換えた作家だった。
その影響は戦後になるとさらに広がり、ジョン・ケージ、ネオ・ダダ、フルクサス、具体美術協会、コンセプチュアルアートへと受け継がれていく。
今日の現代アートを理解する上で、デュシャンは避けて通れない存在である。
しかし、彼が示したのは20世紀美術の唯一の未来ではなかった。

デュシャンが芸術の制度を問い直していた頃、別の場所ではデュビュッフェが制度の外側にある創造を見出し、ダーガーは誰にも知られることなく、自分だけの宇宙を作り続けていた。
20世紀美術の豊かさは、一つの正解へ向かったことではなく、異なる創造のあり方が同時に存在したことにある。

芸術とは何かを問い続ける者。
世界そのものを発明する者。
その両方が並行して歩んだからこそ、現代美術はかつてないほど多様で豊かな領域へと広がっていったのである。
しかし、その多様さとは、単に表現の種類が増えたということではない。
それぞれの作家は、それぞれ異なる方法で世界へ触れようとし、その認知を作品という形式へ定着させてきた。

芸術の歴史とは、新しい作品の歴史である以前に、世界への触れ方が更新されてきた歴史でもある。
そして現代において問われているのは、何をつくるのかだけではない。
どのように世界へ触れ、その認知を形式として定着させるのか。
その方法そのものが、あらためて問われているのである。

コラム4:マルセル・デュシャン ー 概念への転換~その先 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ

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