混ぜすぎた美術史 54 ~ジョージア・オキーフ

アート

ジョージア・オキーフ(1887–1986、アメリカ)

乾いた身体、拡大される風景

オキーフ の絵画には、20世紀前半の「見ること」そのものの変化が静かに入り込んでいる。

巨大に拡大された花弁。
なめらかなグラデーション。
単純化された輪郭。
乾いた空気。

出典:Artpedia/ジョージア・オキーフ「イエローカラー」

たとえば《黒いアイリス》では、花弁は極端に拡大され、もはや植物の一部というより、洞窟や襞のような空間へ変わっている。柔らかなグラデーションは輪郭を溶かし、見る者は花を眺めるというより、その内部へ吸い込まれていく感覚を覚える。

出典:Artpedia/ジョージア・オキーフ「黒いアイリス」

また《牛の頭蓋骨:赤、白、青》では、乾いた牛骨が星条旗の色彩とともに垂直に浮かび上がる。そこには西部の荒野、アメリカ的記号、死の静けさが同時に存在している。しかしその骨は不吉というより、乾いた光のなかで奇妙な透明感を帯びている。まるで砂漠の空気そのものが、静かに白く結晶化したかのようである。

出典:Artpedia/ジョージア・オキーフ「牛の頭蓋骨:赤、白、青」

《ブラックメサの風景》のようなニューメキシコの風景では、その感覚はさらに徹底される。山や丘は細部を削ぎ落とされ、大きな色面としてなだらかに連なっていく。そこでは風景と身体の境界が曖昧になり、土地は単なる場所ではなく、呼吸や皮膚感覚に近いものへ変わっていく。

出典:Artpedia/ジョージア・オキーフ「ブラックメサの風景」

この感覚は、夫である アルフレッド・スティーグリッツ 周辺の写真文化とも深く接続している。20世紀初頭のモダニズム写真は、対象を単に記録するのではなく、接近し、拡大し、光の階調そのものを感覚へ変換していった。オキーフの絵画もまた、そうした新しい視覚体験を内部化している。

アルフレッド・スティーグリッツ「雲」
アルフレッド・スティーグリッツ「暗闇の閃光」

しかし重要なのは、その視覚が冷たい機械性へ向かわなかったことである。

彼女はニューヨーク近代都市の只中を通過しながら、最終的にはニューメキシコの砂漠へ向かう。そこでは乾燥した空間が、逆に強い身体感覚やエロティシズムへ変換される。都市的モダニズムの洗練と、土地の持つ原始的な感覚が、滑らかな画面の内部で静かに接続されていく。

出典:Artpedia/ジョージア・オキーフ「ラジエーター・ビルディングーニューヨークの夜」

それは単なる自然回帰ではない。移動し、拡大され、写真によって変化した身体が、新しい風景との接触のなかで感覚そのものを組み替えていく過程だった。

カツカレーカルチャリズムの視点で見れば、彼女は皿の上に「モダニズムの視覚」と「砂漠の身体性」を同時に盛りつけたのである。 そしてその感覚は、ヨーロッパ中心の近代から距離を取りながら、「アメリカ自身の風景」や「アメリカ自身の身体感覚」を求め始めていた時代の空気とも深く共鳴していた。

出典:Artpedia/ジョージア・オキーフ「蘭」

カツカレーカルチャリズム画家列伝19 ~ジョージア・オキーフ 編 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ

コメント

タイトルとURLをコピーしました