流動化する故郷
20世紀前半、世界は急速に動き始める。
第一次世界大戦、革命、都市化、大陸間移動。人や物だけではなく、文化そのものが国境を越えて往復し始めた。

19世紀までの美術において、地域性や民族性はしばしば固定されたものとして扱われていた。近代美術もまた、その多くは「新しい普遍」を目指していた。セザンヌ、ピカソ、ロシア・アヴァンギャルドが試みたのも、地域差を超えて共有できる視覚言語の構築だった。
しかし20世紀前半になると状況は変わる。
世界は統一されるのではなく、むしろ接続されすぎる。

人は移動し、複数の文化に属し、故郷は場所ではなく経験へと変わり始める。ここで生まれた表現は、単なる異文化趣味でも国民芸術でもない。複数の時間、記憶、身体感覚を同時に抱え込む、新しい混成の形式だった。
この変化は、美術だけに起きていたわけではない。
音楽においてもまた、20世紀前半は「ひとつの国民様式」が静かに崩れ始めた時代だった。
グスタフ・マーラー の交響曲では、民謡、宗教音楽、軍楽、都市の断片が巨大な構造の内部で同時に鳴る。ひとつの旋律が世界を統一するのではなく、異なる声が共存したまま進行していく。

ベラ・バルトーク は東欧各地の民俗音楽を収集したが、それを純粋な民族性として保存しようとはしなかった。断片を移動させ、編集し、新しい構造へ組み替える。その方法は、後のモダニズムにおける翻訳や混成に近い。

一方、イーゴリ・ストラヴィンスキー はロシアを起点にヨーロッパ、アメリカへと活動の場を移しながら、民族性、原始性、新古典主義を横断していく。様式は固定された帰属ではなく、移動しながら選び直されるものになる。

さらに セルゲイ・プロコフィエフ は革命後の離脱と帰還を往復しながら、ロシア的旋律、都市的速度、機械性、古典形式をひとつの作品内部で並置した。

ここで起きていたのは、伝統の消滅ではない。
故郷そのものが流動化し始めたのである。
この動きは、美術の内部でも同時進行していた。
その変化は日本にも並行して現れている。
北川民次 はメキシコへ渡り、壁画運動や民衆教育の現場に身を置きながら制作を続けた。そこにあったのは、西洋中心の近代を受け入れる姿勢でも、日本性へ回帰する態度でもない。異なる社会制度、民族性、生活感覚の内部へ入り込み、その往復のなかで絵画そのものを変質させていく態度だった。

北川はこの章の作家たちと直接同じ運動に属しているわけではない。むしろ別々の場所で、同じ圧力に反応していた存在として読むことができる。
ジョージア・オキーフ は近代都市の速度から距離を取りながら、砂漠や骨や植物を巨大な感覚へ変換した。土地は風景ではなく、身体の内部へ入り込む。

ルフィーノ・タマヨ は先住文化、都市感覚、国際モダニズムを同じ画面に共存させた。民族性は起源ではなく、混ざり続ける運動として現れる。

フリーダ・カーロ は民族衣装、身体の損傷、自画像、政治的記号を統合せずに並置した。自己そのものが複数の文化の接続面になる。

アルシール・ゴーキー は移民としての断絶と記憶を抽象へ変換する。そこでは故郷は再現されず、失われたこと自体が画面の質感になる。

そして ロベルト・マッタ では、その流動化はついに精神空間へ到達する。身体、機械、空間、夢、宇宙が同時に存在し、絵画は単一の視点では把握できない内部環境へ変わる。

ここで起きていることは単純な国際化ではない。
故郷が消えたのではなく、故郷が増えたのである。
ひとつの場所へ帰属する代わりに、複数の記憶や文化を同時に抱えたまま存在すること。その不安定で豊かな状態が、この時代の絵画と音楽を押し広げていく。
カツカレーカルチャリズムの視点で見れば、それは「混ぜた結果、新しい味になる」ことではない。
混ざったまま、互いを完全には溶かさず、それでも共存を続ける形式だった。
そしてその状態は、このあとシュルレアリスム、戦争、身体、そして戦後の都市文化へ流れ込んでいく。



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