先日、小曽根真、アラン・ギルバート、NDRエルプフィルハーモニー・オーケストラによるジョージ・ガーシュイン《ラプソディ・イン・ブルー》の演奏を観た(聴いた)。そこでまず驚かされたのは、この作品が思っていた以上に“自由”だということである。
ピアノは譜面を再現するというより、その場で音楽を生成しているように聴こえる。テンポは微細に揺れ、フレーズは歌い直され、ときに音楽は少し危うくなる。音が薄く感じられる瞬間すらある。しかし、その不安定さが全体の生命感へと変わっていく。
それは完成された構築物ではなく、「いま形になりつつある音楽」のスリルである。

この演奏を聴いていると、普段クラシック作品として扱われる《ラプソディ・イン・ブルー》が、本来はかなり異質な作品だったことが見えてくる。
1924年、ガーシュインがこの作品を書いた時代のニューヨークは、現在われわれがイメージする“クラシック音楽の世界”とは大きく異なっていた。
摩天楼が急速に立ち上がり、自動車、映画、ラジオ、レコード産業、広告、移民文化、ナイトクラブ、ダンスホール、ジャズが混ざり合い、都市そのものが巨大なエネルギーとして膨張していた時代である。
ハーレムではジャズが鳴り、ブロードウェイではレビューが上演され、ティン・パン・アレーでは大量の流行歌が生産されていた。クラシック音楽もまた、その都市空間から切り離されてはいなかった。

ガーシュイン自身、ヨーロッパ的な純粋クラシック教育の中から現れた作曲家ではない。
ロシア系ユダヤ移民の子としてニューヨークに生まれ、若い頃にはティン・パン・アレーで流行歌を書き、ブロードウェイで成功し、ジャズピアニストとして演奏しながら、一方でラヴェルやドビュッシーに憧れていた。
つまり彼自身が、都市の混成そのもののような存在だったのである。
《ラプソディ・イン・ブルー》もまた、その混成状態から生まれた。

そもそもこの作品は、クラシックの演奏会のためというより、ポール・ホワイトマンが企画した「ジャズを芸術へ引き上げる」コンサートのために書かれた作品だった。会場にはクラシック聴衆だけでなく、レビューやダンス音楽に親しんだ都市の観客も集まっていた。
しかも初演時、ガーシュイン自身が弾いたピアノパートは、現在のように完全には固定されていなかったと言われている。実際の演奏では即興的要素も多く、指揮者や楽団がピアノの戻りを待つ場面もあったという。
つまり《ラプソディ・イン・ブルー》は、本来「完全に閉じた作品」ではなかったのである。
その意味で、小曽根真の演奏は単なる“ジャズ的崩し”ではない。むしろ、後世のクラシック演奏の中で固定化されていった作品を、再び1920年代ニューヨークの流動性へと接続し直しているように聴こえる。
ここで重要なのが、アラン・ギルバートとNDRエルプフィルハーモニー・オーケストラの存在である。

もしこれが重厚で均整を重視するタイプのオーケストラであれば、ソロの自由さはオーケストラによって整理され、“交響曲化されたガーシュイン”へ向かっていたかもしれない。
しかしこの演奏では、オーケストラ自体が非常に柔軟に呼吸している。テンポの揺れ、フレーズの伸縮、音の空白を、全体で受け止めながら流動していく。
そこには放送オーケストラとして培われた機動力や、現代音楽への適応力も感じられる。

さらに、この演奏が行われたエルプフィルハーモニー ホールの空間も極めて重要である。音響設計を担当した豊田泰久のホールでは、音が単に美しく混ざるのではなく、微細なニュアンスや空白まで露出する。
そのため、音楽が完全に充填されていない瞬間すら、欠落ではなく呼吸として知覚される。

結果として、この演奏では《ラプソディ・イン・ブルー》が「アメリカの名曲」としてではなく、都市がリアルタイムで生成され続ける運動そのものとして立ち上がってくる。
そこではジャズとクラシック、高級文化と大衆文化、構築と即興が固定されないまま共存している。
そしてその不安定な共存こそ、おそらくガーシュインが生きていた1920年代ニューヨークの空気そのものだったのである。
スイングする都市 ― スチュアート・デイヴィスとアメリカ的モダニズム
ジョージ・ガーシュイン《ラプソディ・イン・ブルー》に近い感覚を美術の側に探すなら、スチュアート・デイビスは非常に重要な存在である。
彼の絵画には、1920〜30年代アメリカ都市文化の独特な“軽さ”と“風通し”がある。

ヨーロッパ前衛の影響を受けながらも、その画面はどこかカラッとしている。そこではモダニズムが、重厚な理念や純粋性としてではなく、都市のリズムや速度感、広告、ジャズ、会話、ストリートの感覚と結びついたまま存在している。

デイヴィスは、キュビスムやヨーロッパ抽象絵画を知りながら、それをアメリカ都市文化へと接続した画家だった。
画面には、
- 看板
- タイポグラフィ
- 商業デザイン
- ジャズのリズム
- スイング感
- 街路の断片
が入り込み、色彩や形態は跳ねるように連結していく。

しかし重要なのは、それが単なるコラージュ的混成にとどまらないことである。
デイヴィスの絵には、都市が“いま鳴っている”ような感覚がある。
形態は固定され切らず、リズムはわずかに揺れ、画面は常に運動の途中にある。そこでは完成された均整よりも、「生成し続ける状態」そのものが重要になっている。

それは、小曽根真による《ラプソディ・イン・ブルー》で感じられた感覚にも非常に近い。
テンポやニュアンスが微細に揺れ、ときに音は少し薄くなり、フレーズは即興的に伸縮する。しかしその不安定さこそが、全体の生命感を生み出していた。
つまりそこでは、完成された構築物ではなく、“都市がリアルタイムで変形していく状態”そのものが作品化されているのである。
この感覚は、同時代ヨーロッパのモダニズムとも微妙に異なる。
たとえばフェルナン・レジェにも都市や機械文明への関心はあったが、そこにはどこか構築性や重量感が残る。都市を秩序化し、モダニズムとして構成しようとする意識が強い。

一方デイヴィスには、もっとアメリカ的な軽やかさがある。
それは深刻な純粋主義へ向かわず、
- ジャズ
- 商業文化
- エンターテインメント
- グラフィック
- 日常空間
を内部に抱え込んだままモダニズムを成立させる感覚である。
だから彼の絵画では、抽象と大衆文化、高級芸術とストリート感覚が対立せず、むしろ同じ都市空間の中で自然に共存している。

それはまさに、ガーシュインが《ラプソディ・イン・ブルー》で行っていたことでもあった。
クラシックへ向かいながら、ブロードウェイを捨てない。
芸術音楽を志向しながら、ジャズやレビューの身体性を失わない。
デイヴィスの絵画もまた、その“混成したまま生きている都市”を、アメリカ的な軽やかさの中で定着させたのである。

PSコラム:音を“聴き合わせる”空間 ― 豊田泰久とヴィンヤード型ホール
豊田泰久は、現代のコンサートホール音響を代表する存在のひとりである。
彼が関わったホールには、
〇 サントリーホール

〇 ミューザ川崎シンフォニーホール

〇 ウォルトディズニー・コンサートホール

〇 エルプフィルハーモニー

など、現代クラシック空間を代表するホールが並ぶ。
その特徴は、単に「よく響く」ことではない。
むしろ豊田音響では、音の輪郭、呼吸、タイミング、密度差といった微細な要素が異様なほど露出する。
演奏者は、響きに包まれて安心するというより、互いの音へ鋭敏にならざるを得ない。
この感覚は、ヴィンヤード型ホールの構造とも深く結びついている。
1986年開館のサントリーホールは、日本における本格的ヴィンヤード型ホールの先駆けだった。従来のシューボックス型ホールが、「正面の舞台」を観客が受け取る構造だったのに対し、ヴィンヤード型では客席が舞台を囲み、観客もまた音楽空間の内部へ組み込まれる。

そこでは、演奏者と聴衆の距離感そのものが変化する。
音楽は、一方向的に与えられる完成品というより、「その場で生成される出来事」に近づいていくのである。
ヘルベルト・フォン・カラヤンが サントリーホールを「音の宝石箱」と評したことは有名だが、その魅力は単なる豊かな残響ではない。

むしろ重要なのは、演奏の細部が極度に見えやすいことである。
つまりホールが自動的に音を混ぜてくれるのではなく、演奏者自身が、
- 他者の音
- 音の入り
- 消え際
- 呼吸
- 微細なズレ
へ敏感にならなければ、空間が成立しない。
ある意味でそれは、巨大ホールでありながら“拡大された室内楽”のようでもある。
この方向性は、後のエルプフィルハーモニー ホールでさらに極端な形へ到達する。

エルプフィルでは、音が単に溶け合うのではなく、複数の音が互いに反応しながら生成されていく過程そのものが聴こえてくる。音の空白や、わずかな危うささえ、欠落ではなく呼吸として知覚される。
そのため豊田のホールでは、演奏が固定された構築物というより、「いまここで立ち上がっている運動」として感じられることが多い。

豊田泰久の音響設計とは、単なる美しい残響のデザインではない。
それはむしろ、音楽が生まれる瞬間そのものを可視化する空間設計なのである。

当記事の演奏は、You Tube にて観ることができます。ホールの内装や雰囲気も含めてご覧になっていただけたらと思います。
Gershwin: Rhapsody in Blue | Makoto Ozone | New Year’s Eve 2021 | NDR Elbphilharmonie Orchestra Bing 動画

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