1990年代後半以降のポップミュージックのサウンドを語るとき、Timbaland の名前は避けて通れない。ヒップホップのプロデューサーとして登場した彼は、やがてR&Bやポップの領域にも進出し、独特のビート感覚によって時代の音を作り出した。

ミッシー・エリオットやアリーヤ、さらに後にはジャスティン・ティンバーレイクなど、多くのアーティストの作品を手掛けながら2000年代ポップのサウンドを決定づけていく。しかし彼の重要性は単にヒット曲を多く作ったことではない。むしろヒップホップのリズムの設計そのものを少しずらしたことにある。

ヒップホップのビートは通常、キックとスネアによって明確な重心を作る。身体はそこに自然に反応し、グルーヴが生まれる。しかしティンバランドのビートでは、その重心がわずかに曖昧になる。キックは腰の位置から少し外れ、スネアは強く主張しない。その代わり、ささやくようなパーカッションや空間的な音響がリズムの印象を作り出す。結果として、ビートは存在しているのにどこか浮遊している。ドラムが主役であるはずのヒップホップにおいて、ドラムの役割そのものがずらされているのである。

この設計が最も洗練された形で現れているのが、ミッシー・エリオットのデビューアルバム『Supa Dupa Fly』(1997)だ。初めて聴いたとき、このアルバムは比較的普通のR&Bヒップホップのように感じられる。メロディは親しみやすく、曲の構造もポップミュージックとして整っている。しかし繰り返し聴いていると、ビートの奇妙な構造が少しずつ浮かび上がってくる。キックは曖昧な位置に置かれ、スネアは軽く、パーカッションは囁くように鳴る。リズムは確かに存在するのに、どこか頼りない。このアルバムの巧妙さは、その異様なリズムがポップな表面の中にカモフラージュされている点にある。聴き手はまず雰囲気のあるポップミュージックとしてこの作品を受け取り、やがてその内部に潜む奇妙なビートに気づくのである。

一方で、その異物感をむき出しにした作品もある。ティンバランド自身のアルバム『Tim’s Bio: Life from da Bassment』(1998)だ。ここではビートの奇妙さが最初から前面に出ている。ドラムはスカスカに配置され、パーカッションは奇妙に跳ねる。ヒップホップのビートとしてはどこか重心が定まらない。その上でラップするのが、ティンバランドのパートナーであるマゴ―だ。鼻にかかった軽い声と独特のフロウは、通常のヒップホップの重いラップとは大きく異なり、この浮いたビートと不思議なバランスを作り出す。結果としてこのアルバムは、ヒップホップの形式を保ちながらもどこか異様な音楽として響く。いわばティンバランドのリズム設計の実験室のような作品である。

同じ時期、ヒップホップとポップの世界で大きな影響力を持っていたプロデューサーとして、もう一つの名前を挙げることができる。それがネプチューンズだ。ファレル・ウィリアムスとチャド・ヒューゴによるこのプロデュースチームは、2000年代初頭のポップミュージックを代表するサウンドを作り上げた。例えば「Hot in Herre」や「Rock Your Body」といったヒット曲では、ミニマルで乾いたファンク的グルーヴが前面に出ている。

ネプチューンズのサウンドを象徴する作品の一つが、ラップデュオ、クリプスのアルバム『Lord Willin’』(2002)だ。特に代表曲である「Grindin’」では、木を叩くような乾いたドラムが反復され、極端にミニマルなビートが鳴っている。このリズムはシンプルだが、重心は非常にはっきりしており、身体はそのグルーヴに素直に反応する。

ティンバランドとネプチューンズは同じ時代のポップミュージックを形作ったが、その方法はかなり異なっている。ネプチューンズのビートはクラブの身体性に近い。汗をかくようなファンクというよりは、どこか乾いた質感のグルーヴだが、それでも身体の重心は明確に提示される。一方でティンバランドのビートは、その身体の重心そのものをわずかにずらしてしまう。グルーヴはあるが、その位置が曖昧なのである。
この二つのプロデューサーの対比を見ると、1990年代後半から2000年代初頭にかけてのポップミュージックの広がりがよくわかる。ネプチューンズがクラブの身体性を洗練させたとすれば、ティンバランドはヒップホップの内部に奇妙な空間を作り出したのである。
この感覚は、ある種の「カツカレーカルチャリズム」にも似ている。カツカレーは日本料理でもインド料理でもない。異なる文化の要素が重ねられながら、結果として強い完成度を持つ料理になる。同じようにティンバランドの音楽も、ヒップホップのビート、R&Bの歌、そしてアンビエントのような空間処理を混ぜ合わせながら、新しいポップミュージックを作り出している。

最初は普通の曲として聴こえる。しかし聴き続けるうちに、その内部の奇妙な構造が見えてくる。ティンバランドの革新とは、ポップミュージックの形を壊すことではなく、その内部でリズムの重心を静かにずらすことだったのである。
カモフラージュされた異物――クリス・オフィリ
ここまで見てきたティンバランドの音楽は、一見するとポップミュージックの形式を保ちながら、その内部でリズムの重心をずらすものだった。キックやスネアは確かにそこにある。しかしその位置は微妙に曖昧で、ささやくようなパーカッションや空間的な音響がリズムの印象を支配する。最初は普通のポップミュージックに聞こえるが、繰り返し聴くうちにその奇妙な構造が浮かび上がってくる。
この構造は音楽だけに見られるものではない。現代美術の領域にも、よく似た方法をとる作家がいる。イギリスの画家クリス・オフィリである。

オフィリの絵画は、まず強い装飾性によって鑑賞者を引き込む。鮮やかな色彩、きらめく装飾、神話的な人物像。画面にはアフリカ的な模様やパターンが描かれ、金箔やビーズなどの素材が用いられることも多い。さらに彼の作品では、象の糞を乾燥させたものが絵画の支持体として用いることでも知られている。
しかし実際に作品を見ると、それらの要素は単なる奇抜な素材として提示されているわけではない。むしろ装飾的な画面の中に自然に組み込まれている。鑑賞者はまず色彩やイメージの美しさに引き込まれ、その後になって、そこに含まれている奇妙な素材や文化的引用に気づくのである。
この構造を象徴する作品が、1996年の絵画「The Holy Virgin Mary(聖母マリア)」である。聖母マリアを描いたこの作品では、画面は金色の装飾と豊かな色彩で満たされている。だがよく見ると、そこにはポルノ雑誌から切り抜かれた小さなイメージが天使のように配置され、さらに絵画の支持体には象の糞が用いられている。

この作品は、1999年にニューヨークのブルックリン美術館で開催された展覧会『センセーション』に出品された際、この作品は宗教的冒涜であるとして政治的論争の中心となった。ニューヨーク市長だったルディ・ジュリアーニは作品を強く非難し、美術館への公的資金の停止を示唆するなど、展覧会は文化と政治をめぐる大きな議論へと発展した。しかしこの騒動は同時に、オフィリの作品がどのような文化的緊張を内包しているのかを明らかにしたとも言える。

オフィリの絵画には、もう一つ興味深い側面がある。それは、いわゆる「アフリカ的」なイメージを意図的に引用している点だ。例えばタンザニアのポピュラー絵画として知られるティンガティンガ絵画のような鮮やかな色彩や装飾的なイメージは、西洋の美術制度の中ではしばしば民芸や装飾の領域に位置づけられてきた。オフィリはそうしたイメージをあえて参照しながら、それをロンドンの現代美術の文脈の中に持ち込んでいる。そこでは、周縁的な文化と見なされてきた視覚言語が、むしろ現代美術の中心へと配置し直されるのである。

この方法は、文化的レイヤーの操作と言えるだろう。アフリカ的イメージ、黒人文化の象徴、ヨーロッパの宗教的図像、そして奇妙な素材。それらは衝突するのではなく、むしろ一つの装飾的な画面の中に溶け込んでいる。
この構造は、ミッシー・エリオットのアルバム『Supa Dupa Fly』や、『Tim’s Bio: Life from da Bassment』でティンバランドが行っていることに少し似ている。そこでは異様なビートがポップな表面の中に巧妙に隠されている。聴き手はまず音楽の雰囲気に引き込まれ、やがてその内部に潜んでいる奇妙なリズムに気づく。

つまりここで行われているのは、異物を前面に押し出すことではない。むしろそれを作品の内部に埋め込み、作品全体の魅力の中に溶け込ませることだ。異なる文化的要素や素材は、衝突としてではなく、一つの完成したイメージの中に配置される。
この方法は、ある意味で「カツカレーカルチャリズム」と呼べるかもしれない。カツカレーは日本料理でもインド料理でもない。異なる文化の要素が重ねられながら、結果として独特の完成度を持つ料理になる。同じようにオフィリの絵画も、アフリカ的イメージ、黒人文化の象徴、そして西洋の現代美術を混ぜ合わせながら、新しい美術の形式を作り出している。

ティンバランドのビートがそうであったように、ここでも重要なのは異物そのものではない。それをどのように作品の内部に配置するかである。最初は普通に見える。しかしよく見ると、どこかおかしい。そのわずかな違和感こそが、作品の新しさを生み出しているのである。
それは、1990年代のブラック・カルチャーがしばしば用いてきた方法でもある。ポップな表面の内部に異物を潜ませ、既存の形式をわずかにずらすこと――その小さなずれが、新しい表現の空間を生み出してきたのである。


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