混ぜすぎた美術史 26 ~構造の解体と知覚の再編

アート

崩れるカツカレー

異なる文化やイメージが混ざり合う状態が、ひとつの様式として整えられると、世界は一度、安定したもののように見えてくる。それらはそのままぶつかり合うのではなく、皿の上に盛り付けられるように配置される。
それぞれの違いは保たれながらも、全体としてはひとつのまとまりとして見えるよう整えられ、新しい美として受け入れられていた。

出典:Artpedia/ウィーンの街並み

そこでは混ざり合いは制御され、洗練されたかたちで提示された。しかしその安定は、同時にひとつの限界でもあった。整えられた混成は、あくまで「見えるかたち」に収められたものにすぎない。
その背後では、世界そのものの構造が、より深いレベルで揺らぎ始めていた。

出典:Artpedia/ヨーロッパの主要な鉄道

20世紀初頭、都市はさらに拡大し、交通と通信は加速し続ける。鉄道網の発達、電気の普及、電話や無線通信の登場。それらは人や物の移動だけでなく、時間や距離の感覚そのものを変えていった。

出典:Artpedia/無線送信機の操作

さらに映画の誕生は、連続した時間を分解し、再構成する新しい視覚をもたらす。ひとつの場所にいながら、複数の視点や時間が重なり合う感覚。それはもはや、単一の視点から世界を描くことができない状況を生み出していた。
エイゼンシュタインのモンタージュは、その極端な例である。個々のショットは単独では完結せず、それらを接続することで、観る者の知覚や感情の中に新たな意味が立ち上がる。ここでは像は「写すもの」ではなく、「関係によって生成されるもの」へと変わっている。

出典:Artpedia/セルゲイ・エイゼンシュタイン 「戦艦ポチョムキン」
出典:Artpedia/セルゲイ・エイゼンシュタイン 「戦艦ポチョムキン」(オデッサの階段)
出典:Artpedia/セルゲイ・エイゼンシュタイン「戦艦ポチョムキン」
出典:Artpedia/セルゲイ・エイゼンシュタイン 「戦艦ポチョムキン」

また、写真技術の発展は、「現実を写す」という絵画の役割を根本から揺るがす。現実の再現は機械に委ねられ、絵画は別の領域を引き受けざるを得なくなる。

出典:Artpedia/エドワード・マイブリッジ「動く馬」

そして決定的だったのは、第一次世界大戦である。

大量破壊兵器、塹壕戦、機械化された戦闘。それは進歩と理性によって世界がより良くなるという19世紀の信念を根底から崩した。

出典:Artpedia/第一次世界大戦

社会の秩序や意味の体系は揺らぎ、人間の理性によって世界が統御できるという感覚は、もはや保てなくなる。このとき、混成を「整える」ことはできなくなる。異なる要素を並べて美しく見せるのではなく、その衝突や断絶そのものが、画面に現れ始める。

出典:Artpedia/ポール・セザンヌ「サント・ヴィクトワール山」シリーズ

視点はひとつではなくなり、時間は連続しなくなり、対象は分解され、再び組み替えられる。ここで起きているのは、単なるスタイルの変化ではない。世界の見え方そのものの変化である。

たとえば、対象を複数の視点から同時に捉え、再構成した パブロ・ピカソ。

パ出典:Artpedia/ブロ・ピカソ「アヴィニヨンの娘たち」
出典:Artpedia/パブロ・ピカソ「マ・ジョリー」

色彩と形態を解放し、内面的なリズムとして画面を構成した ワシリー・カンディンスキー。

出典:Artpedia/ワシリー・カンデンスキー「作曲7」

そして、形や意味が不安定なまま漂う空間を描き出した ジョルジョ・デ・キリコ。

出典:Artpedia/ジョルジョ・デ・キリコ「街の謎と憂鬱」

さらに、様式そのものを固定せず、機械図、人物、抽象を横断しながら、イメージの一貫性そのものを解体していった フランシス・ピカビア。

出典:Artpedia/フランシス・ピカビア「ウドニー」
出典:Artpedia/フランシス・ピカビア「ヘラ」

彼らの絵画では、もはや要素は整然と並ばない。
むしろ互いに干渉し合い、ずれ、重なり、崩れながら存在している。

整えられたカツカレーは、ここで皿の上から崩れ落ちる。ご飯とカレーとカツは分離するのではなく、むしろ境界を失いながら、異なるかたちで再び混ざり始める。

それはもはや「美しく配置された混成」ではない。制御できないまま進行する混成、あるいは、混ざることそのものが構造を壊してしまう状態である。

こうして絵画は、世界を整える装置から、世界の不安定さそのものを引き受ける装置へと変わっていく。

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