混ぜすぎた美術史 24 ~グスタフ・クリムト

アート

グスタフ・クリムト(1862–1918、オーストリア)

装飾が極限まで高められた絵画

グスタフ・クリムトは、19世紀末ウィーンを代表する画家である。
彼の作品は、金箔と装飾に覆われた独特の画面によって知られている。

クリムトの絵においてまず目を引くのは、画面全体を覆う金の輝きである。
この金は単なる装飾ではない。

出典:Artpedia/グスタフ・クリムト「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I」

彼はイタリアのラヴェンナで見たビザンチン・モザイクから影響を受け、宗教的な光としての金を絵画の中に取り込んだ。
そこでは金は空間を示すものではなく、現実から切り離された永遠の場を生み出す。

出典:Artpedia/ビザンチンのモザイク 「ユスティニアヌス帝と廷臣たち」(部分)
出典:Artpedia/ビザンチンのモザイク 「テオドラ皇后と侍女たち」

しかし同時に、この金は別の性質を帯びている。
それは見る者の目を引きつけ、強く惹きつける欲望の光でもある。

本来、宗教における金は人間の欲望から距離を取るためのものだった。
だがクリムトはそれを、身体や装飾と結びつけてしまう。

神聖であるはずの光は、ここで人間的な欲望と結びつき、性質を変える。

平面と装飾の構造

クリムトの画面は、西洋的な遠近法とは異なり、平面的で、装飾的な要素が並置されている。
人物、文様、背景は溶け合うのではなく、それぞれが独立したまま配置される。

この構造には、日本の浮世絵にも通じる感覚がある。

出典:Artpedia/グスタフ・クリムト 「エウヘニア・プリマヴェージの肖像」

つまり彼の絵画は、

  • ビザンチン的な金の象徴性
  • ジャポニズム的な平面性
  • 象徴主義的なイメージ

が同時に存在する場である。

出典:Artpedia/グスタフ・クリムト「ベートーヴェン フリーズ」

過剰としての美と退廃

クリムトの装飾は、画面を埋め尽くすほどに増殖する。
金、文様、身体。
それらは互いに主張し合いながら、過剰な密度の中で均衡を保っている。この状態は、完成であると同時に、どこか不安定でもある。

出典:Artpedia/グスタフ・クリムト「ユディト I」

そこには世紀末特有の空気、すなわち退廃や不安が深く関わっている。秩序が揺らぎ、価値が不確かになるとき、人はむしろ強い感覚や輝きを求める。その結果として現れるのが、過剰に装飾された美である。
さらにそこでは、身体の官能的な気配が強く立ち上がる。
金の輝きと密着するように現れるエロスは、生命の肯定であると同時に、どこか過剰で、行き過ぎたものとして感じられる。

出典:Artpedia/グスタフ・クリムト「ダナエ」

それは生の充溢であると同時に、崩壊の気配でもある。

華やかさ、退廃、官能。
それらが重なり合うことで、画面には終末的な緊張が漂い始める。

出典:Artpedia/グスタフ・クリムト「死と生」

現代との接続

この「輝きとしての欲望」は、現代にも続いている。ブランドのロゴ、広告の光沢、デジタル画面の発光。それらは意味よりもまず視覚的な快感として機能し、見る者の注意を引きつける。
ここでは光は、もはや神聖さではなく、欲望を喚起する装置となっている。クリムトの金は、そのような現代の視覚文化を先取りするものでもあった。

出典:Artpedia/グスタフ・クリムト「接吻」

クリムトの絵画は、

  • 宗教的な光
  • 装飾的な文様
  • 平面的な構成
  • 身体と欲望

といった異なる要素を、ひとつの画面に重ね合わせる試みだった。
それらは溶け合うのではなく、過剰なまま共存している。

その輝きは、完成であると同時に、崩壊の気配をも含んでいる。
彼はひとつの皿に、黄金と欲望を盛ったのだ。

出典:Artpedia/グスタフ・クリムト「ベートーヴェン フリーズ」

カツカレーカルチャリズム画家列伝8 ~クリムト、カンデンスキー 編 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ

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